サイゴン路地裏物語

ベトナム・ホーチミン市の路地裏に住む日本人が見た素顔のベトナム人。

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優しさの先進国

すっかり涙腺が緩くなってしまった。新型コロナウイルスの感染拡大を防止するために、ベトナムで「社会的な距離」が実施されて以降、目頭が熱くなるような美談をたくさん見聞きしてきたからだう。そんな出来事を、ごく一部だが紹介したい。

営業が禁止された後、いくつかのレストランは貧しい人たちに弁当を作り、店先で配り始めた。夜の街をバイクで回り、路上で暮らす人々に弁当を手渡した店もあったという。飲食店だけではない、なけなしの小遣いでバゲットなどを買い、貧しい家庭に配った若者グループもいる。

ベトナム人社員らが給料の半額を使ってインスタントラーメンなどの食料品を買い、新型コロナの流行で職を失った人に届けた会社もあったそうだ。飲食店を営む日本人の社長に、ベトナム人の社員が「営業できなくて大変でしょうから、給料を返上します」と申し出たという話も聞いた。

ベトナムに住む日本人の知り合いとインターネットで情報交換していると、こういった話が次々出てくる。「ベトナム人を見直した」「これまで以上にベトナムが好きになった」との声も聞く。

「社会的な弱者が、自分以上に困っている人に手を差し伸べる」というのが、ベトナムの良いところの1つだと以前から感じる機会はあった。ホーチミン市を訪れた人は、道端に冷たいお茶の入った容器が置かれているのを見掛けるだろう。カフェなどで乾きを癒やすことができない貧しい人のために、近くに住む人が用意したもので、誰でも無料でのどを潤すことができる。「庶民がより貧しい庶民を助ける」。こういう事例を目にするのは、珍しいことではない。

今回のような状況になると、ベトナム人でも他人のことを思う余裕がなくなって当然だろう。新型コロナ騒動の初めの頃、そんなふうに危惧したが、良い意味で裏切られた。

ベトナムに長く住む友人は、「自分が苦しいときにこそ『自分よりもっと困っている人がいる』と考え、手を差し伸べるのがベトナム人だ」と話していた。今回の非常時にあって、そういう場面をたびたび目にした。ベトナムの政府機関や民間企業が日本に医療用マスクを寄贈しているのも、その一つだろう。ある日本人の在住者がベトナムを「優しさの先進国」と形容していたが、私も同じように感じる。

うれしかったのは、「これを機にベトナムに恩返ししよう」というベトナム在住の日本人が出てきたことだ。ホーチミン市の日本人グループは、恵まれない人に食料品を配る活動を展開している。菓子を製造する会社を営む日本人の社長は、4000個近い自社の商品を寄贈したそうだ。

もちろんいい話ばかりではない。利己的な行動に走ったベトナム人もおり、最近では犯罪も増えているそうだ。新型コロナで景気が悪くなったことが影響しているのだろう。

これを書いている2020年5月現在、幸いなことに、ベトナムでは新型コロナの流行がほぼ静まり、人々の生活は急速に平常に戻りつつある。今後のことは分からないが、危機を乗り越えたことで、ベトナムは大きな自信を得たに違いない。感染拡大を再発させないことが理想だが、第2、第3波がきたとしても、ベトナムは優しい心でうまく乗り切るような気がしている。

【写真キャプション】
道路脇に置かれたバゲットと冷たいお茶の入った容器。もちろんどちらも無料だ。なくなると近所の人が補充している。

(初出:時事速報ベトナム版2020年5月29日/改稿:2020年12月21日)
  




新型コロナは誠意のリトマス試験紙

今回の新型コロナウイルス騒動は、ベトナムに住む外国人にとって「これまでベトナムと誠実に付き合ってきたか」が問われる試金石のような気がする。

騒動が始まって以来、「定宿にしていたホテルで宿泊を拒否された」「レストランで入店を断られた」という体験談を見聞きする。ある日本人駐在員は「ベトナムに暮らしていて、日本人であることに肩身の狭い思いをする日が来るとは、想像もしなかった」と落胆を隠さない。ベトナムでは今まで日本人だと名乗るだけで、一段上の丁寧な対応をしてもらえることが多かっただけに落差が大きいのだろう。

その気持ちは私にも分かるが、「ベトナム人の日本人差別」に憤っている人を見ると、素直に共感できないことが多い。そうした中には、ベトナムの人に普段から横柄な態度を取っていたり、そこまでいかなくてもベトナムとの付き合いが浅かったりする人がかなりの割合で見受けられたからだ。

私はここ数週間、ベトナムで日本人の知人に会うたびに「日本人や外国人という理由で、不当に扱われたことはありますか」と尋ねている。少なくとも私が聞いた周囲では「不愉快な対応をされたことは一度もない」という人が多数だった。

これらの知人に共通するのは、ベトナムに感謝の気持ちを抱いて生活していることだ。「非常時でも親切でいてくれるベトナムの人たちの優しさが身に染みた」と、正反対の体験を話してくれる人も少なくない。入店拒否の経験を持つ人でも「スタッフの対応はとても丁寧で、決して悪い印象は持たなかった」と振り返る。

同じ日本人なのに、どうしてこうもベトナム人の対応が違うのか。これを説明するキーワードは「家族」ではないか。本当の血縁関係ではなく、極めて「心情的な概念」としての家族だ。「家族かどうか」は、ベトナムでは日本よりはるかに大きな意味を持つ。普段目立たない「家族の内か外か」の違いが、新型コロナウイルス騒動という非常事に見えやすい形で現れたのではないだろうか。

ベトナム人から「家族の一員」と見てもらうのに、長くベトナムに住んでいることやベトナム人の配偶者がいること、ベトナム語が話せることは必須ではない。私が知っているだけでも、数年の駐在生活でベトナム語もほとんど話せないのに、ベトナム人から家族扱いされている人が何人もいる。大切なのは「誠実さ」だと思う。

この機会に「自分がベトナムと誠実に付き合ってきたかどうか」を自問自答したいと考えている。それは今回の危機を乗り越える上で必要であると同時に、騒動後のベトナムでの働き方・生き方を見直すのにも大切なことだろうから。

【写真キャプション】
2020年3月22日朝のホーチミン市・タンソンニャット国際空港の到着ロビー。この日から、新型コロナウイルスへの感染拡大防止のため、国際線の運航が停止された。普段はごったがえしている空港がご覧のようにガラガラだ。

(初出:時事速報ベトナム版2020年4月6日/改稿:2020年12月14日)
  




日本という看板を背負っている

先日、ビジネス関連の懇親会に参加した。会場のビルでエレベータに乗りこんだところで、少し先から急ぎ足でやってくる男性の姿が目に止まった。服装がカジュアルなホーチミン市ではちょっと珍しいスーツ姿だ。私は「開」ボタンを押して彼を待ち、入ってきたところで「こんにちは。何階ですか?」と声を掛けた。日本人かベトナム人か判断が付かなかったのでベトナム語である。

男性は目線を合わせないまま、あごを突き出すようにし、英語で「4階」と返してきた。私と同じ行き先だ。後ろに立っていた彼は4階に着きドアが開くや否や、私を押しのけるように先にエレベータから降り、懇親会場に入っていった。

そのときは気にならなかったのだが、考えてみるとちょっと横柄ではないかと思えてきた。行き先を伝えるときには「4階」と言うのと同時に「お願いします」と添えるのが礼儀だろう。さらに私が「4」のボタンを押したところで、「ありがとう」の一言も欲しいところだ。エレベーターを降りるのも入り口近くに立つ私が先で、奥の彼が後というのが順当だろう。

英語が苦手だったのかもしれないし、会社での心配事で頭がいっぱいだった可能性もある。懇親会の開始までにはまだ余裕があったが、「早く会場に入りたい」と急いでいたとも考えられる。しかし「私をベトナム人だと思ったからかな」と勘繰ってしまった。非常に礼儀正しい人が、ベトナム人には態度を豹変させ、横柄に振る舞う姿をたびたびも目にしてきたからだ。

私を含め大部分の日本人は、ベトナム人に対して優越感を感じているかもしれない。日本人は礼儀正しいから、それを表に出さない。しかし、ベトナム人たちは一緒に働く外国人をよく観察している。口先だけでベトナムのことを褒めても、すぐに見抜かれてしまう。

「私の会社の社長は『ベトナム料理はおいしい』と言うが、彼がベトナム料理を食べているのを見たことがない。『社交辞令』と受け取っている」「社内ではいつも『ベトナム大好き』と言う日本人が、日系の飲み屋でベトナムの悪口で盛り上がっているのを見て悲しかった」といった話を友人のベトナム人から聞くこともある。

経済発展の度合い、社会の成熟度などいろんな面での違いから、日本人の中に優越感を感じる人がいるのは確かだろう。だからと言ってベトナムそのものを見下していいわけではない。ベトナムで暮らす外国人としては、感謝の気持ちでベトナムの人々に接するべきではないだろうか。

ベトナムで働いている私達は「日本という看板を背負っている」ことを意識したいと思う。見知らぬ人に手を貸す日本人を見たベトナム人は、「日本の人は親切だ」と感じるだろう。一方で、ベトナム人に失礼な態度を取る日本人がいたら「日本の人は横柄だ」と思ってしまう。常に日本人として恥ずかしくない行動を心掛けたいと改めて感じた。

【写真キャプション】
財団法人・大阪産業局とベトナム商工会議所(VCCI)がホーチミン市で共催した日越企業の懇親会。

(初出:時事速報ベトナム版2020年2月18日/改稿:2020年12月07日)
  




ベトナム人社員の心を掌握する武器

「今度着任した日本人の社長さん、ベトナム語が話せるんですよ」
嬉しそうな顔でこう話してくれたのは、ホーチミンシティの日本企業で勤務するダオさんだ。英語が上手で、これまで日本人社長とは、英語で意思疎通をしてきた。

「どれくらいできるの?」
「ええっと『こんにちは』とか『ありがとう』とか……」
もう少し上手なのかと予測していた私は拍子抜けした。

ダオさんは慌てて言葉を継いだ。
「今はまだまだだけど、週に1回1時間、家庭教師を雇って勉強しているって言っていたわ」
「でもそのレベルだったら、共通の言葉はこれまで通り英語でしょう?」
「それはそうだけど、外国人の上司が少しでもベトナム語を知っていると嬉しいものなのよ」

ベトナム人は「自分の国は経済小国だから、ベトナム語を学ぼうとする外国人なんていない」と考えている人が多いようだ。それだけに外国人がベトナム語を話すと、こちらがびっくりするくらい喜んでくれる。

ところが日本人駐在員で、ベトナム語を勉強しようとする人は少数派だ。赴任当初は頑張っていた人も、数か月以内に挫折してしまう。言葉に関しては韓国人のほうが評判がよく、ベトナムの人達から「韓国人は日本人よりもベトナム語が上手だ」という話を何回聞かされたか分からない。

先日、ベトナムで現地法人を設立したばかりの日本人社長・Kさんと、会食したときのこと。会社設立のサポートお願いした日系のビジネスコンサルタントさんから、彼はこう助言された。
「ベトナム語を覚える必要はありません。言葉に関しては通訳を雇えば済む話で、社長さんは経営に専念すべきです」

Kさんから意見を求められた私は、言下に異を唱えた。
「コンサルさんのおっしゃることも一理ありますが、ベトナム語は習ったほうがいいですよ。いや、習うべきです」

「え? 英語もできない私が、今からベトナム語を勉強して、使えるようになりますかねえ。もう若くはないし」
「失礼ながら、商談ができるレベルに到達する可能性はゼロに近いと思います」

「だったらどうして? 飲み屋の女の子と雑談をする程度のベトナム語しか身につかないんだったら、私はやる気はありません」
戸惑いを隠せないKさんに、私はダオさんの話を紹介した。

片言でもいいからベトナム語が話せると、いや、ベトナム語を学ぼうとしているというだけで、日本人社長への評価は上がる。「ベトナム語に興味を持っている」という姿勢を示すことは、社長がベトナム人社員の心を掌握するために欠かせないと思う。

社長に限った話ではない。自分が働き、生活している国の言葉を覚えようとすることは、相手国へのマナーではないだろうか。いまだに初級者レベルのベトナム語しか話せない私が言っても説得力に欠けるのが残念だが……。

その後、Kさんは、忙しいスケジュールの合間をぬって、ベトナム語の学習を始めたそうだ。

【写真キャプション】
ホーチミン市内の書店に並ぶベトナム語学習本

(初出:時事速報ベトナム版2020年1月16日/改稿:2020年11月30日)
  




人称代名詞は親近感のバロメーター

ベトナム語を習得するのには幾つかの関門がある。人称代名詞はその一つだろう。

「私」や「あなた」が、相手との関係によって変わるのである。「私」の人称代名詞は、年下の人に話し掛ける場合はanh(アイン)だが、相手が年上だとem(エム)になる。同様に「あなた」も千変万化する。相手が年上の男性ならanh(アイン)、年上の女性ならchi(チー)、年下なら性別を問わずem(エム)だ。

これ以外にchau(チャウ)、co(コー)、chu(チュー)、bac(バック)、ong(オン)、ba(バー)などが使われる。親族間の「おじ」「おば」などに相当する呼称を加えると、人称代名詞は10種類を軽く超えてしまう。ベトナム人ですら使い分けに悩むことがあるほどだ。

慣れるに従い、便利な面も見えてきた。人称代名詞は、基本的に自分と相手の年齢によって使い分ける。しかし、実際の使い方を見ると、それ以外の要素も関係しているようだ。相手をどう考えているかによって、使い方が変わるのである。

私の娘は15歳だが、お店に行くと10歳以上年上の店員から、年上の女性に対する2人称代名詞「チー」で呼ばれることが多い。年齢に関係なく、利用客への敬意から「チー」を使っているのだろう。私も取材先の女性社長には、彼女が年下でも「チー」を使う。

ただ女性が年齢に敏感なのはベトナムでも同じで、気を使う。女性社長に「チー」と呼び掛けたら、「そんなに老けて見えるのかしら」と悲しそうな顔をされ、慌てて言い訳したこともある。

取材で訪れた高級ホテルの広報課長は30代の女性だった。彼女は年下だったが、最初は「チー」と呼んでいた。しかし話をするうちに、彼女から「あなたより年下だからエムと呼んでくれるとうれしいわ」と申し出があった。こう言われると、相手との距離が近くなったと感じられる。

カフェでは、自分の娘でもおかしくない年ごろの店員から「アイン」と呼ばれることが多い。年齢差を考えると「チュー」か「バック」(ともに「おじさん」の意味)になるはずだ。

以前、仲良くなった店員に「あなたのお父さんと同じくらいの年なのに、どうして?」と尋ねると、「『おじさん』より『お兄さん』と呼ばれた方が気分がいいでしょ」との答えが返ってきた。

知人のベトナム人男性は、「女性が相手の男性をアインと呼ぶときは『友だちまたは恋愛対象になりうる存在』で、チュー、バックのときは『対象外』というニュアンスを感じる」と言っていた。どこまで一般化できるのかは分からないが、興味深い意見である。

ベトナム語の「こんにちは」が「Xin chao(シンチャオ)」だということは、皆さん、ご存知だろう。ただ、実際には、chao+人称代名詞で話されることが多い。

相手が年上の男性なら「chao anh(チャオアイン)」と呼び掛け、年下の女性なら「chao em(チャオエム)」という具合だ。シンチャオより親近感が増すように私には感じられる。皆さんも、ぜひお試しあれ。

【写真キャプション】
名刺交換をするときに、相手をどの呼称で呼ぶべきかを素早く判断する

(初出:時事速報ベトナム版2019年12月23日/改稿:2020年11月23日)
  




カフェとコンセント

仕事をしようとカフェに入ったときのことだ。テーブルは確保したのだが、近くのコンセントが全部、使われてしまっている。どうしようかと思案をしていると、隣のテーブルに座っていた大学生らしい女の子が声をかけてきた。

「電源が必要ですか? 私が使っているテーブルタップは、まだ1口空いていますから、そこを使われますか?」

見てみると彼女は、壁にあるコンセントに延長コードをつないでおり、テーブルタップには3つの電源口があった。彼女が使っているのは2つで1つが空いている。

「これはお店の備品ですか?」
「私物です。カフェで勉強することが多いので、これを持ち歩いているんです」
私は喜んで厚意に甘えることにした。

逆に私が助ける側に回ることもある。やはりカフェで作業をしていたときのこと。20代後半とおぼしき女性から声をかけられた。

「お仕事中、すいません。急ぎの用件があってこのカフェに立ち寄ったんですけど、電源アダプタを忘れてしまったんです。しかも今、バッテリーの残量を見たら、あと数%しか残っていません。あなたのパソコンは私と同じタイプなので、電源アダプタも同じだと思います。メールを送る少しの間だけ、貸して頂けないでしょうか」

私のパソコンのバッテリー残量は100%だ。
「私は電源なしでも4〜5時間は作業ができます。ゆっくり使って頂いていいですよ」
そういって私は電源アダプタを差し出した。

ベトナムのカフェでは、パソコンやタブレットを持ち込んで、仕事や勉強をしている人が多い。だからコンセントに近い席は人気がある。先日、私がカフェで本を読んでいたとき、2人の若者から話しかけられた。

「僕たちは、パソコンで作業をしたいんですが、隣の席にはコンセントがないんです。もし差し支えなかったら、席を移って頂けませんか?」
見たところ2人とも大学生くらいの年齢で、パソコンと書類の束を持っている。

私はパソコンを使って作業をする予定はなかったから、コンセントは必要ない。
「もちろん、いいですよ」
私は2つ返事で席を譲った。

私は事務所を構えておらず、終日、カフェを転々としながら仕事をすることが多い。カフェで目を引くのは、お客さんの間の心理的な壁が低いことだ。ここで紹介したように電源や席を融通し合うことは、珍しくない。

また何か困ったことがあっても、店員さんを呼ぶよりも、お客さん同士が協力して解決してしまう場面が多いように思う。例えばWi-Fiのパスワードを知りたいとき、店員さんが近くにいないと、私は気軽に隣の人に尋ねる。逆に尋ねられることも少なくない。

一方、日本のカフェで対照的な情景を目にした。

入店してきたスーツ姿の男性客が店員さんを呼んで「コンセントが近い席に座りたいんですが」と頼んでいる。店員さんは店内を見渡すと、新聞を読んでいた中年男性のところに足を運び、何度も頭を下げながら何か話し始めた。おそらく席を移って欲しいと頼んでいるだろう。

どうやら交渉は成立したようで、中年男性は店員が用意した別の席に移り、スーツ姿の男性がそこに座った。第三者であるお店のスタッフが間に入ることで、不用意な衝突を避けようという、日本流の物事の進め方なのだろう。

ベトナム流と日本流、どちらを良しとするかは、人それぞれだ。読者の皆さんは、どちらを選ばれるだろうか。

【写真キャプション】
このように混雑したカフェでは客同士の助け合いの精神が大切だ

(初出:時事速報ベトナム版2019年11月05日/改稿:2020年11月16日)
  




1000ドン未満のお金は誤差?

ベトナムでは少額のお金が切り上げもしくは切り捨てされてしまうのは、よく知られている。

スーパーで買い物をすると、肉や野菜は1キロいくらで売られているから、金額が9万7237ドンのような半端な金額になることがある。ところが現在、実質的に流通しているのは1000ドン以上の紙幣ばかりで、ちょうどの金額を払うことは不可能だ。1000ドン未満は切り上げされて9万8000ドンになることが多い。

この端数の切り上げ・切り捨ては、几帳面な一部の日本人には不評で、「そういういい加減なことをしているから、ベトナムはいつまでも後進国なんだ」という声を聞くこともある。

ところがカナダに住んでいた経験を持つ日本人男性・Oさんの反応は違った。
「少額の支払いを切り上げまたは切り捨てにするのはカナダも同じですよ」

カナダでは2013年2月に1セント硬貨が廃止されたそうだ。理由は「1セント玉を製造するのに1.6セントかかる」から。1セント硬貨をなくすと1年間で日本円にして約9億円あまりのコストが削減できるという試算を元に、廃止に踏み切ったという。

そして「2捨3入、7捨8入」のルールが導入された。つまり1、2、6、7セントは切り下げ、3、4、8、9セントは切り上げとなり、5セントまたは10セントのいずれかにまとめる。例えば1カナダドル12セントのものを買うと、お店は1カナダドル10セントしか受け取らない。逆に品物が1カナダドル18セントだと1カナダドル20セント払うように求められる。

その話を聞いて私も調べてみると、小額硬貨が廃止されているのはカナダだけではない。スウェーデンでは1972年に1オーレ硬貨が廃止されて以来、5オーレ、10オーレ、50オーレの硬貨が順次廃止され、2010年以降の最小単位は1クローナになっている。

これ以外にもアイルランド、オーストラリア、オランダ、スイス、チェコ、デンマーク、ニュージーランド、ノルウェー、ハンガリー、フィンランド、ベルギーなどの国々でも、小額硬貨の製造や流通を中止していた。小額硬貨を廃止した国の中に先進国が含まれているのをみると、端数の扱いと経済の発展の間に直接的な因果関係はなさそうだ。

それどころか、この問題を知れば知るほど、私は「1円の単位までこだわることに経済的合理性はあるのだろうか?」という疑問のほうが大きくなってしまった。ちなみに日本の1円硬貨の製造コストは約3円。1円硬貨の廃止を提案している専門家もいるそうだ。

Oさんの話を聞いて私が何より反省したのは、日本とベトナムで方法などが違う場合、無条件に「日本の方が正しい」と決めつけがちな自分自身の姿勢だ。ベトナムで「これは日本と違うな」「変だな」と感じるものを見つけた場合、「どうしてそうなっているのだろう」「これは本当にベトナムが変なのだろうか」と考えることを忘れないようにしたいものである。

【写真キャプション】
ホーチミンではゴールドショップで両替するのが得だ。写真はホーチミンシティで有名なお店。ここでも端数は切り上げまたは切り捨てになる。

(初出:時事速報ベトナム版2019年10月18日/改稿:2020年11月09日)
  




規則より人間関係重視


「こちらの勝手を言って申し訳ないのですが、月末に予定されている支払いを前倒しでお願いできないでしょうか」

取引先の日本人担当者から、こんな電話が入った。キャッシュフローに余裕がない零細企業同士、困ったときはお互いさまである。私はすぐに自社の法人口座に十分な残額があるのを確認して、ベトナム外商銀行(ベトコムバンク)に赴いた。

ところがである。書類に必要事項を記入して行員さんに渡すと、「送金手続きには、会社印とパスポートに加え、あなたの会社の事業許可証が必要です」と言われてしまったのだ。

「ごめんなさい。今日は持参していないのですが」
「では記入していただいた書類はいったんこちらでお預かりし、事業許可証を持ってきてくださったときに送金手続きをしますね」

時刻は既に午後4時近く。事務所まで取りに戻っていると、営業終了時刻の4時半を過ぎてしまう。

「実は、取引先はすぐにお金が必要で、今日中に振り込んでほしいと頼まれているのですが、何とかなりませんか」
「これは規則ですから……」

このとき対応してくれたのが、顔なじみの行員さんだったことも幸いしたのだろう。重ねて依頼をすると、奥の席に座っている上司にかけあってくれた。私のいるカウンターからでも、渋い顔をしている上司に対し、彼女が熱弁を振るっている様子が見て取れる。

ちょっと時間はかかったが、結果的には「御社は当行との取引が長いお客さまですから、今回は例外として認めましょう」ということになったのだ。「ただし明日には、必ず事業許可証を持ってきてくださいね」と念押しをされたのは言うまでもない。

私がベトナムで生活するようになって、規則よりも人間関係が優先されることが多いのに驚いた。日本でも顔なじみであれば、規則を曲げて融通を利かせてくれることはあるが、ベトナムの方がその可能性は高いと思う。断られるのを覚悟の上での依頼を聞き入れてもらい、助かった経験は数え上げるとキリがない。

ただし、これを手放しでは歓迎することはできない。規則によって確保された公平性や平等性よりも、人間関係が優先されることによる弊害は、ベトナム社会のいろんな場面で見ることができるからだ。

入札で発注先を決める際に、見積もりそのものは高かったにも関わらず、発注者の身内の会社が受注してしまう。権力者の親戚の会社には、事業許可が簡単に下りてしまうなど。こういううわさ話は、ちょくちょく耳にする。

そういう弊害はあるにせよ、私はベトナムが規則一点張りの国にならないことを願っている。時には規則よりも人間関係を優先させた方が、おそらく社会はスムーズに動くのだから。

【写真キャプション】
ベトナム大手銀行の一つであるベトコムバンク・ホーチミン支店の入るビル。

(初出:時事速報ベトナム版2019年09月26日/改稿:2020年11月02日)
  




ベトナム人女性はほめ上手

「私の夫は世界一素晴らしいと思う。そんな男性と結婚できて私は本当に幸せ」
そう語るのは、結婚して13年目になるトゥーさん。11歳と6歳になる2人の娘さんがいる。彼女に会うと、必ず出てくるのが旦那さんの自慢話である。

トゥーさん夫妻は共働きだ。結婚した時、彼女は大手英語学校で勤務していたが、出産を機に退職した。「旦那は会社員で在宅勤務はできないけど、私は学校を辞めても自宅で英語を教えることができるから」というのが夫婦で話し合った結論だったそうだ。

平日は、夫が帰宅すると家事・育児を担当してくれるので、彼女は夜になると自宅で英語のオンライン家庭教師をしている。夫の会社が休みになる週末は、彼女は元の勤務先である英語学校に出勤し、終日教鞭をとるという生活だ。

「彼も仕事を持っているのに、家事も育児もとても積極的に分担してくれるのよ。私のほうが申し訳ないと思うくらい」
だそうだ。

「それより何より、彼は私のことを心から愛してくれているの」
彼女の「夫自慢」はこのセリフで締めくくられる。やはり、これがいちばん大事らしい。

人によってかなり差はあるが、総体的にベトナム人女性は「男性をほめるのが上手」だと思う。ある結婚披露宴に参加したときのことだ。私の座っているテーブルは既婚女性ばかりだった。披露宴の間中、尽きることなく「夫の自慢合戦」が繰り広げられるので驚いた。

興味を引いたのは、たまたまかもしれないが、夫の経済力や会社での地位に関する自慢話が、出てこなかったことだ。「髪型を変えたらほめてくれた」「自分の親と同じくらい、私の両親も大切にしてくれる」「会社が休みの日に料理を作ってくれた」など、お金がかからないことばかりである。

「この程度のことで、妻に喜んでもらえるのなら、私にもできそうだな」と大いに参考にさせてもらった。もっとも、それが実行できているかとなると、心もとないが。

私の義理の母もほめ上手だ。義母の友人に会うと「ああ、あなたがよくできたお婿さんね、あなたの義母さんから、いつも自慢話を聞かされていますよ」と言われるのである。何をほめてくれているのか分からないが、そう言われると「いい義理の息子にならねば」と感じてしまう。

ベトナム女性に関しては「しっかり者」という評価が定着している反面、男性の評判はあまりよろしくない。披露宴でほめられていたご主人さん達も、おそらく平均的なベトナム人男性だろう。

奥さんの側には「ほめることで良い夫になるように誘導しよう」という意識が、どこかに働いているのではないだろうか。ほめられて悪い気になる人はいないし、その期待に応えようとするのは人情だからだ。「ほめる」というのは、ベトナム人女性の「男性操縦術」の1つなのではないかと私は考えている。

もし「奥さん同士で集まると夫の愚痴話になる」という人がいたら、一度、意識的に「夫の自慢話」をしてみてはどうだろう。自分のいないところで、奥さんがほめてくれていたことを知った夫は、きっと発奮するだろうから。

【写真キャプション】
ベトナムの披露宴は、参加者が多くにぎやかでカジュアルな雰囲気だ。

(初出:時事速報ベトナム版2019年08月20日/改稿:2020年10月26日)
  




大雨と人情

きょう、昼食を終えてカフェを出ようとした、まさにその時、バケツを引っくり返したような大雨が降り出してしまった。店の前の道路は、あっと言う間に冠水してしまい、そこだけ見るとまるで小さな川のようだ。

とは言え、ホーチミンのスコールは、だいたい1時間もあればやんでしまう。私は「もう少しここに居座るか」とパソコンを取り出して仕事を始めた。会社勤めの人たちは、そうはいかないのだろう。大雨にもかかわらず、お客さんは次々と席を立って行く。

店の駐輪場係のおじさんの動きが私の目に止まった。彼はお店の入り口にやってきて、お客さん一人一人に「あなたのバイクはどれ?バイクの鍵を貸して」と尋ねている。そしてそれぞれのバイクのところに行き、鍵を使ってシートを開け、その下に収納してある雨具を持って来て、一人一人に手渡していたのだ。

これくらいの大雨だと、バイクのところまで行って、雨具を取り出し、それを着るまでの数分間にずぶ濡れになってしまうだろう。一方で、店内で雨具を着てから外に出れば、濡れ方はずいぶん少なくなるはずだ。私は駐輪場係のおじさんの心遣いに感心した。

きょうのように店の中にいるときに雨が降り出すとまだ対応しやすいが、困るのはバイクでの移動中だ。そんな時、私はたいてい手近なカフェに避難する。バイクにはいつも雨具を積んでいるが、それで防げる程度の雨ではないからだ。カバンの中にはパソコンやカメラ、それから紙の資料などが入っており、ぬらすわけにはいかない。

ある時、「あ、降り出したな」と慌てて最寄りのカフェに入ったときには、既に服や頭はかなりぬれてしまっていた。すると、入り口のところに待機していた店員さんが、すかさず用意した紙ナプキンを手渡してくれたのである。これは別に珍しいことではない。小さなハンドタオルを出してくれる店もある。

カフェを出た途端に大雨が降り出し、慌てて店に引き返したことがある。入口付近で立ったまま、雨が小ぶりになるのを待っていたら、店員さんが「この雨、まだしばらく続きそうですから、どうぞ」と椅子を勧めてくれた。こういうときに「改めて何か注文してください」なんて無粋なことをいう店員さんには、会ったことがない。

ハノイ出張時にバイクで移動中に雨に降られたときのことだ。借り物のバイクなので雨具は積んでいない。しかし雨が降り出すと、道端の屋台がどこからか雨具を取り出して売り始めるので便利だ。

私も、そんな屋台の1つで使い捨ての雨具を購入した。売り子の若い娘さんは、私がぬれないように傘を差し掛けてくれた上、「背中のバックパックもぬれないように、雨具の中に入れましょう」と、着るのを手伝ってくれたのである。ささいなことだがうれしかった。

雨は誰の上にも平等に降るから、カフェの店員も屋台の娘さんも、雨に降られて困っている人の気持ちが分かる。だからこうして親切になれるのだろう。雨期のホーチミン。毎日のように雨に降られるのは大変だが、そこで出会う人々の優しさが、雨のつらさを大いに緩和してくれる。

【写真キャプション】
主な移動手段がバイクである当地で雨具は欠かせない。

(初出:時事速報ベトナム版2019年07月19日/改稿:2020年10月19日)
  




楽観主義というDNA

久しぶりにバイクタクシーに乗った。私自身、普段は自分で運転するバイクで移動するし、そうでない場合には配車アプリでバイクを呼ぶから、バイクタクシーに乗ることはめったにない。時代の流れなのだろう、街中で客待ちをしているバイクタクシーの姿を見る機会はすっかり減った。

私より少し年配の男性が運転するバイクの後部座席に乗りながら、私は20年ほど前に知り合った中年のバイクタクシー運転手のことを思い出していた。彼がいつも客待ちをしていたのは、ホーチミン市内中心部にあるグエンフエ通りとレロイ通りの角である。

何度か通りかかるうちに顔見知りになり、
「おじさん、今日も朝早くから仕事なんだねえ」
「ウチには子供が多いから、朝から晩までこうして炎天下で働かなきゃならないのさ」
などと軽口を交わし合うようになったのだ。

あるとき、彼の身の上話を聞いていた私が
「おじさん、貧乏で大変だね」
と同情すると、彼が真顔になって、こう言い返してきたのである。

「オレは貧乏じゃない」
「え?」
意外そうな顔をしている私に彼は、笑顔でこう言い放った。
「まだ金持ちになっていないだけさ」

私は、このときのことを今も鮮明に覚えている。赤銅色に日焼けした顔、着ている服はよれよれで、乗っているのは年季の入ったホンダのカブタイプの年季の入ったバイクだ。そんな生活を続けていて、彼が数年後に金持ちになっているとはとても思えない。でも彼は「何年後になるかは分からないけどさ、いずれは金持ちになっていい暮らしをするんだよ」と自信満々なのである。

私は「ベトナム人のDNA(遺伝子)には楽観主義が組み込まれているに違いない」と思うことがある。彼らは「今日よりは明日が、現在よりは未来のほうが良くなる」と無意識のうちに確信しているように感じるのだ。前述のバイクタクシーの運転手のように、何の根拠もないことも多いのだが。

対照的に、私を含め日本人は総じて心配性だ。これは悪いことではない。「備えあれば憂いなし」という言葉にもある通り、自分の人生や社会の将来について真剣に悩み、対策を考えるのは、日本人の美点であると思う。対照的に老後の備えなど何もないのに、ヘラヘラ笑って毎日を過ごしているベトナム人を見ると「もうちょっと真面目に将来のことを考えたら」と、忠告の一つもしたくなる。

ただ、素敵な未来を信じて笑顔で生活するのと、未来のことを憂いながらしかめ面で生活するのと、どちらを選ぶかというと、私は断然、前者だ。ここで暮らすうちに、私はベトナム人の楽観主義に感化されてしまったのかもしれない。

【写真キャプション】
観光名所の前で客待ちをするバイクタクシー

(初出:時事速報ベトナム版2019年06月24日/改稿:2020年10月12日)
  




会社に縛られない生き方

知り合いのベトナム人デザイナー・ドゥック君が会社を辞めた。
「次の仕事は決まっているの?」
「いや、まだです」

気楽な独身ならまだしも、彼は既に40歳に手が届こうという年齢で、奥さんと一人息子がいるのだ。しかも貯金は「まったくない」という。
「奥さんにはちゃんと相談したの?」
立ち入った質問だとは思ったが、他人事ながら気になって聞いてしまった。

「新しい上司が無茶ばかり言う人なんですよ。それを妻に説明したら『そんな嫌な思いをしてまで、会社に居続ける必要はないんじゃない? 私の給料でとりあえず生活はできるんだから、辞めてしまいなさいよ』と大賛成でした。いい仕事が見つかるまで、しばらくは主夫業を楽しみますよ」
ドゥック君はニコニコ笑いながら、こう答えてくれた。

ベトナム人は日本人に比べて会社への定着率が低い。その理由に関しては、多くの専門家がいろいろな分析をしている。例えば「会社への忠誠心が日本人に比べて低い」「我慢することを知らない」「目先の損得しか考えないので、少しでも給料が高いところがあれば、そちらに転職してしまう」など。私はそれらに加えて、「共働きが多いから」というのも、理由に挙げられるのではないかと感じている。

知り合ってかれこれ20年になるベトナム人女性ハイさんは、職場の環境が気に入らないと、すぐに会社を辞めてしまう。私が進呈したあだ名が「転職の女王」。彼女のこれまでの転職回数は確実に20回を超える。本人が「何回転職したのか私自身、覚えていない」と言うほどだ。

彼女はほとんどの場合、転職先を決める前に辞めてしまう。でも「旦那も働いているので生活には困らないからね」と平気だ。「嫌な思いをしてまで働く必要はない」と見切りが早いのも、転職先を探すときに「希望の給与額を下げてまで雇ってもらおうとは思わない」と妥協しないのも、経済面での不安がないことが大きい。

独身者の場合も状況は似ている。親と同居している人の割合が高いから、生活に関する心配は不要だ。親も親で、子供から「今の会社は自分の能力を認めてくれない」などと相談を受けると、「そんな会社辞めて、もっといい会社を探したら? 寝るところと食べるものはあるのだから」と後押しする。

会社員が、理不尽な上司や過酷な労働条件に耐えて働き続けるとしたら、その理由の一つは「収入がなくなるのが心配だから」だろう。一方で、雇用する側は、心のどこかに「無収入になったら困るから、少々つらいことがあっても社員は我慢するはず」と高をくくっているところがあるに違いない。

ところが配偶者や親など「家族」という経済的セーフティーネットがあるベトナム人が相手だと、これが通用しない。転職が多いことはデメリットもあるが、「会社に縛られない生き方をしている」という見方もできるのではないか。われわれがベトナム人社員を雇用するときには、自分たちが意外と手強い人たちを相手にしているのだと肝に銘じておいた方がいいだろう。

【写真キャプション】
民間信仰・聖母道の聖地である西湖府(ハノイ)で祈りを捧げる家族

(初出:時事速報ベトナム版2019年05月21日/改稿:2020年10月05日)
  




ゴミを拾うベトナム人社員を育てるには

先日、取引先である日本企業のベトナム人社員・ランさんと、レストランで打ち合わせをしたときのことだ。彼女が注文した飲み物はミネラルウオーター。運ばれてきたペットボトルのフタに付いている透明のフィルムをはがしたランさんは、それを制服の上着のポケットにしまった。

「机の上に置いておけば、店員さんが片付けてくれるのに、どうして?」
私が笑いながら尋ねると、彼女からこんな答えが返ってきた。

「以前、弊社の日本人社長が私のオフィスに来た時、床に紙ゴミが落ちているのを見つけて拾い上げたんです。ところが近くにゴミ箱がなかったんですね。すると彼は、ごく自然に自分の上着のポケットに入れました。それを見て『ああ、私も見習わなくては』って思ったんです」

ランさんが勤務しているのは、日本では東証1部に上場し、ベトナムでも名の知れた大企業だ。彼女のような平社員にとって雲の上の存在である社長が現場に来たとなれば、一挙手一投足に至るまで注視する。ゴミを自分のポケットに入れた彼の行為が、ランさんに強い印象を残したことは想像に難くない。

同社はボランティア活動にも積極的に取り組んでおり、社長さん自らベトナムの僻地の村にも足を運んでいるそうだ。ランさんは「そういう社長の下で働いていることは誇りです」とも言っていた。

ベトナム人社員は、日本人社員の立ち居振る舞いを実に注意深く観察している。それは「外国人だから」という理由だけではない。日本企業の場合、多くの場合、日本人が上司でベトナム人は部下だからだ。部下が上司のことをよく観察するのは日本でも同じだが、これが日本企業に勤める日本人上司とベトナム人部下となると、その目はさらに細かくかつ厳しくなる。

社長の人柄が社風に影響するのは、ベトナム企業のベトナム人社長でも同じだろうが、外国企業の外国人社長のほうが、その影響力は大きいように思う。「居丈高な姿勢の日本人社長の下には横柄なベトナム人社員が、笑顔を絶やさない日本人社長の下にはにこやかなベトナム人社員が育つ」という傾向は確実に存在する。ベトナム人社員は日本人社長の姿を写す「鏡」のような存在だと言っても言い過ぎではない。

社長が交代して、会社の雰囲気がガラッと変わってしまった実例に遭遇したこともある。ベトナムに駐在していた日本人社長が帰任し、代わりにやって来た後任の方は、非常に規則に厳しい人だった。それはとても素晴らしいことなのだが、社長が交代してから、ベトナム人社員たちの顔から笑顔が消え、対応も杓子定規になってしまったのである。働いているベトナム人は同じなのに、ここまで変わるかと驚くほどの変貌ぶりだった。

われわれ日本人としては、この影響力の大きさを活用しない手はない。ランさんのように、日本人社長のいいところを見習ってくれるベトナム人は多い。自らが範を垂れることで、より良いベトナム人社員が育つだろう。逆に自社のベトナム人社員に不満があるときは、自分自身、そして日本人管理職が、良いお手本を示すことができているかどうか、一度、振り返ってみてはどうだろうか。

【写真キャプション】
ホーチミン市内で見かけた派手なバイクのゴミ回収業者。

(初出:時事速報ベトナム版2019年04月23日/改稿:2020年09月28日)
  




優先席がない国

先日、ベトナムに遊びに来てくれた友人夫妻と、路線バスに乗ったときのことだ。車内には空席が見当たらない。しかし、3人の若者がすぐに立ち上がり「どうぞ」と席を譲ってくれた。われわれは50代半ば。日本でなら席を譲られる年齢ではないし、私自身「それほど歳をとっていない」という自負はあるが、素直に好意に甘えることにした。

私は普段バイクに乗っているから、路線バスに乗る機会は少ない。しかしその経験の範囲内では、若者が座って、年配の人間が立っているという情景を一度も見た記憶がない。これは、ベトナムのしつけが関係しているのだろうと私は推測している。

例えば毎日の食事の場では、子供は、食べ始める前に「お父さん、いただきます」(Thua Ba an com)「お母さん、いただきます」(Thua Ma an com)と両親にあいさつをするようにしつけられる。Baは父親、Maは母親の意味だ。

祖父母が同席している場合、あいさつをする相手は年齢順なので、まず「おじいさん、いただきます」「おばあさん、いただきます」。その後で両親となる。これは肉親に限らない。例えば両親の友人が一緒に食卓を囲む場合も同じで、必ず目上の人に挨拶をする。

この表現は、私が暮らしているベトナム南部での言い方だ。ハノイなどベトナム北部では「Moi Bo dung com」など、使う単語が少し変わるが、意味は同じである。ちなみに料理にはしをつけるのも年齢順だ。

近年、ベトナムでも「目上の人に敬意を払う」というしつけは徐々に緩くなってきているが、それでも日本に比べると年上の権威は強い。

年配者の方も、席を譲られることに慣れている。せっかく勇気を持って立ち上がったのに「私はそれほど年寄りじゃない!」と怒り出す人がいると、ためらってしまう。しかしベトナムで席を譲られた側は、素直に「ありがとう」と言って座る。

日本の公共交通機関には優先席が設けられているが、その運用に関して議論が尽きないのは、皆さまもよくご存知の通りだ。お年寄りが目の前に立っても、たぬき寝入りを決め込み席を譲らない若者。一方、そういう若者を無理矢理立たせる年配者。逆に席を譲られて怒り出す人もいる。一見、健常者に見える若者が、実は障害者だったのに立たされてしまった、という例もある。

優先席が設けられているのは、もちろん日本だけではない。そして多かれ少なかれ、その運用には苦労をしているようだ。例えばニューヨークでは、障害者、高齢者に席を譲らないと25〜50ドルの罰金が科されることがあるという。インドネシアのジャカルタでは、男性スタッフが随時車内を巡回し、立っている優先対象者がいると乗客の膝をたたき、席を替わるよう促すそうだ。

一方、ベトナムでは、私は優先席を見たことがない。ベトナムに通い始めた当初、私は「ベトナムにはまだ優先席というシステムがないのか。遅れているんだな」と思っていた。しかし、優先席を作るまでもなく、年長者に席を譲るベトナムのほうが、むしろあるべき姿なのではないだろうか。知り合いのベトナム人数人に話を聞いたところ、「優先席を設けているバスを見たことがある」という人がいたが、一般的ではないようだ。

「優先席」という仕組みが機能するかどうかは、そこに「敬老の精神」が根付いているかどうかにかかっている。優先席を巡る問題を考える際、われわれ日本人は、ベトナムにおける「しつけ」から学べることがあるのではないだろうか。

写真:ホーチミンシティを走る路線バスの車内。

(初出:時事速報ベトナム版2019年03月15日/改稿:2020年09月21日)
  




それってハラスメントですか?

普段はタイトなミニスカートを身に着けている取引先のベトナム人女性・ミーさんが、きょうはゆったりしたワンピースを着ている。

「もしかしておめでたですか?」
そう尋ねると図星だった。
「おめでとう!」
と声をかけると、
「ありがとうございます!」
と幸せいっぱいの笑顔が返ってきた。

「何カ月目ですか」「男の子、それとも女の子?」などと質問をすると、「まだ分からないんですけど、私は男の子がいいなって思っているんです」など、ニコニコしながら話をしてくれる。そんなやり取りをしながら、「これ、日本だったらセクハラって言われてしまうんだろうな」と心中、苦笑した。

私がベトナムに来たばかりの頃、初対面の人が私生活に踏み込んだ質問をしてくるのに戸惑ったものだ。いきなり「何歳ですか?」に始まり、「あなたは結婚していますか?」「仕事は何ですか?」から、「きょうは疲れ気味ですね」といった体調に関するもの、果ては「給料はいくらですか?」といったちょっと答えづらい内容まで、遠慮なく聞いてくるのだ。

どうして根掘り葉掘り質問をしてくるのか、疑問に思った私は、親しくなったベトナム人何人かに聞いてみた。すると「それは好意の表れなんですよ。好感を抱いている人のことはもっと知りたくなるじゃないですか」とか「いろいろ尋ねるのは『あなたのことを気にかけていますよ』というサインです」という答えが返ってきた。

「ベトナムでは相手の年齢によって、『あなた』に相当する言葉を使い分けます。だから年上か年下は重要な情報なんです」
こう教えてくれる人もいた。

確かに話し相手の男性が年上であれば「あなた」は「anh(アイン)」になり、年下だと「em(エム)」になるなど、ベトナムの人称代名詞は複雑に分かれている。年齢を気軽に聞いてくるのは、そういう事情もあるのだろう。

一方、日本では、男性上司が女性の部下に「週末は何をしていたの?」と質問しただけで、「それはプライベートなことを過度に詮索する行為で、セクハラとして訴えられる可能性もある」という話を、弁護士さんから聞いたことがある。

本人が嫌がっているにもかかわらず質問を続けたのなら、「セクハラ」と言われても当然だろう。しかし、質問をしただけで「セクハラ」になるというのは、ちょっと行き過ぎでないかと感じてしまう。

私がベトナム人の友人に、日本の事例を紹介しながら、
「ベトナム人だって、私生活を詮索されたくない人はいるでしょう?」
と尋ねると、
「だったら『そういう質問には答えたくない』って言えばいいじゃないですか」
と不思議そうな顔をされた。

私自身、今やすっかりベトナム流に感化されてしまっている。質問されることに寛容なだけでなく、私からも遠慮なく質問をするようになった。それに対して口が重たい人とは一定の距離を置いて付き合うし、うれしそうに答えてくれる人とは、どんどん仲が良くなる。

そういう経験を積み重ねた今、「質問文化」を活用することはベトナム生活を豊かなものにする鍵の一つだと私は感じている。

写真:ホーチミンシティ・グエンフエ通りで結婚記念アルバム用の写真を撮影していたカップル。「結婚していますか?」は初対面の人からよく聞かれる質問だ。

(初出:時事速報ベトナム版2019年02月19日/改稿:2020年09月14日)
  




お母さんはホームドクター

日本人男性・Dさんは、私と同じようにベトナム人の奥さん一家と同居している。Dさんが病気になったときのことだ。会社で加入してくれている海外旅行保険を使って外資系の病院に行き、薬をもらってきた。

ところが義理のお母さんに
「その薬は良くない。私が買って来た薬を飲みなさい」
と強い口調でたしなめられた。

Dさんが
「でも、お医者さんが処方してくれた薬だし」
としぶっていると、お母さんは怒り出してしまった。
「あなたは家族の言うことより、今日会ったばかりの、見ず知らずの他人の言うことに従うの?」
と言うのだ。

「でもその人は、ちゃんとしたお医者さんだよ」
「処方した薬が間違っていて、あなたの病気が治らなくても、お医者さんは何も困らないし、責任もとってくれません。看病をするのは家族です。だから家族の言うことが何より信頼できるの」
こういってたしなめられた。これはやや極端な例だとは思うが、実にベトナムらしさの現れたロジックだなと私は感じる。

この背景には日本とは異なる医療事情もある。ベトナムには医師資格を認定する国家試験がない。つまり医学部を卒業すると同時に医師として実務に入る。そのため医師のレベルには、かなり幅があると言っていいだろう。ベトナム市民もそれを知っているから、医師への信頼感は日本に比べて低い。

日本でも1人の医師のいうことを全面的に信じるのではなく、「セカンドオピニオン」をとることの重要性がよく指摘される。しかしベトナムでは、その比ではない。「自分が納得する診断をしてくれる医師が見つかるまで、病院を転々とする」という人すらいるほどだ。

そこには「医師と言っても専門家でははない。その診断が正しいかどうかを最終的に判断するのは本人の責任。診断が間違っていて命を落とすのは、医師ではなく本人なのだから」という「自己責任」の意識が強く働いているように感じる。

身近なところでは、私の義理の母も医師の診断をあまり信用していない。家族が病気になると、正しい薬を処方して買ってくるのは自分の責任だと任じている。薬局で買いたい薬のリストを出したのに「AとBの薬は同時に服用してはいけません」と売ってくれない場合は、どうするか。複数の薬局を回って自分が欲しい薬を買い揃えて、家族に服用させるのだ。

一度、義母の素人処方が原因で、私の娘、彼女にとっての孫娘の病状が悪化したことがあった。ホーチミン市内最大の病院に慌てて連れていき、現在、飲ませている薬を義母が医師に告げたところ、「あなたはお孫さんを殺すつもりか!」と厳しく叱責された。

しかし逆に、薬局で処方された薬では効かなかったのに、義母が自分のメモを見ながら組み合わせを考え、複数の薬局を回って買って来た薬で病状が改善することもあった。医師や薬剤師よりも、普段から家族の体調を見ている人間のほうが正しい判断ができることもあるのだろう。愛情という名の「資格」を持った「お母さんホームドクター」は強いのだ。

写真:ホーチミン市伝統医学病院の中に置かれたベトナム伝統医学の祖・Hai Thuong Lan Ong(Le Huu Trac)医師の胸像。

(本稿初出:2020年01月13日)
  




日本ファンのベトナム人を裏切らないために

外資系のマーケティング会社に勤務するトゥイ・ハンさんは、大の日本びいきだ。
「私がまだ大学生だった15年前に買ったホンダのスーパーカブは今でも現役よ。1ヶ月くらい乗らないと、エンジンのかかりが悪くなるバイクもあるけど、日本製のバイクはまったく問題なく動くの」。

彼女はフエの出身で、大学卒業後、ホーチミンシティに引っ越してきた。ベトナムでは中古バイクでも程度の良いものなら、比較的高価で買い取ってくれる。引っ越し時にバイクを売って、ホーチミンシティに来てから、お金を上乗せして新しいバイクを買うという方法もあっただろうが、
「売ろうなんて考えなかったわ。愛着があるという以上に、全然、故障しないんだもの」

バイクだけではない。
「子供に英会話を学ばせようと、私が昔使っていた英語学習用のCDを物置から出してきたの。それと一緒に、学生の頃に買ったパナソニック製の携帯CDプレーヤーもしまってあったので電源を入れてみたら、10数年ぶりだというのに、今でも何の問題もなく使えるの! さすが日本製品ね」

「日本製品は確かに少し高いかもしれないけど、故障しないし、長年使えることを考えたら、ベトナム製品や中国製品よりも安い」
と彼女の身の回りには、どんどん日本製品が増えていった。彼女に感化されたのか、旦那さんも今や日本製品のファンだそうだ。

トゥイ・ハンさんご夫妻は、日本に行ったことはない。しかし、「こんな素晴らしい製品を作るのだから、日本という国も、そして日本の人達もきっと素晴らしいに違いない」と日本そのものにも好印象を持ってくれている。

こういう話を聞くと、私は「メイドインジャパン信仰」を作り上げた先達たちの努力に感謝の気持ちが湧いてくる。細部にわたるまで手を抜くことなく、丁寧にモノづくりをしてきた賜物だろう。日本製品の優位性をアピールするマーケティング戦略も大事だろうが、愚直な努力の積み重ねのほうが、深い信頼感を得られるような気がする。

最近の日越関係を見ていて、時に残念になるのは、こういう「日本」のブランドイメージを傷つける日本人がいることだ。雑な仕事をしたのは自分なのにうまく行かないとベトナム人に責任転嫁する現地で働く日本人、ベトナム人女性の買春体験をインターネット上で得意気に披露する男性、「上から目線」でベトナム人を見下した発言や行動をする人、こういう日本人が急激に増えているような気がしてならない。

もちろん、そういう日本人の姿をベトナムの人もしっかり見ている。「ベトナムが日本に比べたら、はるかに遅れている国であることは、よく分かっています。でも……」と口ごもる人だけではなく、「日本は素晴らしい国だと思っていましたが、日本人と接する機会が増えるにつれ、日本人に失望するようになりました」とはっきり言う人もいる。

信頼感を築き上げるのには時間がかかるが、それを崩すのは簡単にできてしまう。先人達が何十年もかけて作り上げた良い日本のイメージが、一部の日本人によってガラガラと崩れていくのを目の当たりにするのは、日本人の1人として辛いものがある。

ベトナムに住んでいる日本人の1人として私ができることは、自分自身がベトナムの人と誠実に付き合うことだろう。そういう気持ちを持って行動する人が増えることで、トゥイ・ハンさんのような日本ファンを失わないようにしたいものだと思う。

写真:ホーチミンシティでは、年代物のカブを多数見かける。

(本稿初出:2019年12月16日)
  




スーパーはレジャーランド

週末には近くのスーパーで1週間分の食材をまとめ買いする。よく行くのがゴーヴァップ区にあるEマートという韓国系の大型スーパーだ。開店したのはちょうど4年前で、以来、非常に賑わっている。ここにやってくるベトナム人客を観察するのはおもしろい。

まず1人で買い物に来る人はめったに見かけない。多いのが家族連れだ。お父さん、お母さん、子供が2人というのが標準的な構成だろう。そしてショッピングカートを2台使う。1台は買ったものを入れるため。もう1台は子供を載せるためである。

この店のカートは大きく、幼稚園児くらいの子供なら2人は乗れてしまう。折りたたみ式の台座がついていて、小さい子供を座らせると後ろ向きに足を出すことができる。つまりカートを押す親と座っている子供は、向き合って会話をしながら買い物ができるわけだ。持参した毛布と枕をカートの底に敷いて赤ちゃんを寝かしつけてから、店内に入っていく若い夫婦を見かけたこともある。

家族連れで来店する人が多いのは、ベトナムでも核家族化が進み、自宅に小さな子供たちだけを残しておけないという理由もあるのではないかと、私は推測している。しかしそれ以上に、ショッピングは娯楽なのだ。

それを感じるのは店内で記念撮影をしている人を見かけるときだ。今日、Eマートのスナック売り場で時間をかけて自撮りしている若い女性2人がいた。似たような情景はイオンスーパーでも見かける。大型のスーパーに行くのは、晴れがましいことなのだろう。

子供たちにとってスーパーは遊び場だ。持参したミニカーを床で走らせて遊んでいる男の子、座り込んで腕に抱えた人形に話しかけている女の子などを見かける。おそらく「買い物もできる遊園地」みたいな感覚なのだろう。売り場で遊ぶ子供がいるのはスーパーに限らない。我が家の近所にあるミニストップやファミリーマートでも、床に座り込んで遊んでいる子供たちの姿を見かけることは多い。

1つ1つの商品を選ぶのにかける時間は、日本より確実に長いだろう。ベトナムは品質管理が日本に比べて甘く、食材は注意深く選ぶ必要があるからだ。買い物客同士の情報交換もある。先日、私が鶏肉のコーナーで、2つの会社のもも肉を見比べていると、隣に来た中年の女性が「左側の会社がお勧めよ。値段は同じだけど、右側のものより美味しかったわ」と教えてくれた。

今日は精肉売り場で、話し合いをしながら品定めをしている若い夫婦がいた。棚に並んでいる100グラム1万7100ドン(約80円)の豚肉のパックを、1つ1つ手にとって仔細に検討している。重さはどれも200グラム前後で揃っていて加工した日付はすべて同だ。それでも「こっちのパックほうがいいよ」「いや、それよりはこっちが」と真剣そのものである。野菜売り場でも同様だ。山のように積まれたニンジンの中から10本ほどを選び出して買い物かごに入れ、そこから更に比較検討をして、最終的に1本だけ買っていった中年女性がいた。

買い物に時間がかかる理由は他にもある。お菓子のコーナーで商品をスマホで撮影している若い女性を見かけた。そしてSNSで自宅にいるらしい子供を呼び出し、「どれが欲しい? お母さんが、あなたの好きなのを買ってあげるから」と話しかけている。特売品のコーナーの前で、やはり写真を撮って「今日は洗剤が安いんだって。あなたも来たら?」と誘っている主婦らしい女性もいた。

売り場内で飲食をしている人たちが多いのも特徴だ。Eマートではレジの外ではなく、レジの内側に飲食コーナーがある。テーブルと椅子が並んでいて、買ったばかりのお惣菜をそこで食べることができるのだ。店内を歩きながら食べている人もいる。今日も若い男女が、片手には飲み物の入ったカップを持ち、ホットドッグを頬張りながら買い物をしていた。

販促活動をしているスタッフの数も日本のスーパーに比べて多いと思う。Eマートでは、少ない日でも10か所程度のスタンドが売り場内に設けられ、そこで試食をさせてくれる。お菓子、ハム、インスタントラーメンなど提供されているものは様々だ。我が家の娘が小さい頃、スーパーに行くと、試食だけでお腹がいっぱいになってしまったほどである。

ちょっと気になるのは、買い物をせずにずっとスマホを見ている人だ。私の見るところ男性が多い。今日も、比較的空いていたアイスクリームが入っている冷凍庫の前に、数名の男性が立ってスマホの画面を所在なげに眺めていた。実は私も似たような状況になることがある。それは妻と一緒に買い物に来る時だ。

私の買い物は1時間足らずで終わってしまうが、妻は早くても2時間以上かかる。自分自身の買い物が終わった後、私は食材の入ったカートを押しながら、妻の後ろをついて歩くのだが、ごった返している店内をカートを押して歩くのは気をつかう。そこで妻とは分かれて比較的空いているコーナーに避難し、そこで妻の買い物が終わるのを待つのだ。冷凍庫の前に立ってスマホを見ている男性たちも、私と同じような状況なのではないだろうか。

私が子供の頃、50年近く前の日本のスーパーマーケットは、今のベトナムのそれと共通するものがあったように記憶している。あくまでも私の推測だが、買い物以外の目的で来店する人がいなくなり、かつ、買い物客が1人で来店するようになったら、Eマートは今の3分の1くらいの混雑になるかもしれない。スーパーがレジャーランド化しているこの状態、いつまで続くのだろうか。興味深い。

写真:ゴーヴァップ区のEマート。「開業4周年記念」のセール期間中だったので、普段以上に混雑していた。

(本稿初出:2019年12月09日)
  




「禁止」が多い日本社会

11月20日はベトナムでは「教師の日」だった。私の娘はベトナム生まれ・ベトナム育ちだが、これを経験したことがない。彼女が通っている日本人学校では教師の日を祝わないからだ。小学校1年生のときには、11月に入ると学校側から「教師の日のお祝いはご遠慮ください」という通知が保護者に届けられた。彼女は幼稚園も日系で、日越家庭の子供が半分程度いたが、そこでも同様だった。

ベトナムでは、教師の日に乗じて保護者に対し金品を露骨に要求する教師がいたり、また逆に親が教師にこっそりと現金を贈って我が子の特別扱いを頼む、などの事例があるそうだ。日系の幼稚園や日本人学校が贈り物を禁止するのは、そういう不正を予防するためなのだろう。

教師の日の贈り物について考えていて、日本に一時帰国したときの出来事を思い出した。

自宅の近所に父母がお世話になっている小さな診療所があり、そこの若い青年医師とは私も知り合いだ。定期診断に行く両親と共に来院した際、私はお土産にベトナム産の板チョコを1枚持っていった。軽い気持ちだったのだが、医師は「こういうものは、ちょっと……」と、受け取るのをためらうのだ。

さらに、
「中身は本当にチョコレートだけですよね。中にお札とか入っていたら受け取れませんから」
と確認を求めてきた。確かに板チョコは、お札と同じくらいのサイズである。私は、
「先生、もちろん、中にはびっしりと札束が入っていますから」
と冗談で返すと、先生も笑顔になり「まあ、板チョコ1枚くらいなら大丈夫でしょう」と受け取ってくださった。

患者からの不透明な金品の受け取りには注意をしているのだろう。とは言え、スーパーで買ったチョコレート一枚を渡すのに、気を遣わなければならないのは、「ちょっと息苦しいなあ」と感じてしまった。

不正や不公平を未然に防止するのは日本の良いところの1つだと思うのだが、一方で「一部の不正を防ぐために、全面的に禁止するというのは、果たして正しいのだろうか」という疑問も感じる。

教師の日の例にしても、教師の日という習慣そのものが悪いのではなく、問題なのはそれを悪用する一部の教師や親である。それを取り締まるのが難しいのはよく分かるが、だからと言って教師の日を祝うことそのものを禁止するのは、残念な気がしてしまう。

同様の例は、日本社会のいろんな場面で見ることができる。例えばあるカフェでは、店内でのパソコンの利用を禁止していた。長時間居座る客がいるからだという。ある児童公園では犬の散歩を禁じている。フンを放置する人がいるからだそうだ。確かにこんな風に全面禁止にしてしまえば、一つ一つの事例について判断する手間が省けるから手っ取り早いが、それでいいのだろうか。

私の周囲にいる海外生活が長い人からは「日本社会は息苦しい」という声を聞くことが多い。それはこのように、いろんな場面で「禁止」をたくさん作ってしまったことが、原因の1つになっているのではないだろうか。

写真:教師の日に送られた花。

(本稿初出:2019年12月02日)
  




もしベトナムに軽減税率が導入されたら

ベトナムで「ありがたいな」と感じることの1つが、レストランで食べ残しを「持ち帰りたい」というと、気軽に応じてくれることだ。お店側では、持ち帰り用の容器を用意しており、そこに入れてくれる。このお陰で「残さないように」と無理して食べる必要はないし、食品ロスを出さずに済む。

先日、娘と一緒にドーナッツ店に入ったときのことだ。「5個注文すると1個が無料でおつけしますよ」という店員さんの勧めに従って6個購入。ところが2人で4つ食べたら、お腹がいっぱいになってしまった。こういう場合も、お店側は食べきれなかった2個をちゃんと箱に入れてくれる。

コーヒーでも同様。全部飲みきらないうちに店を出なければならないときは、店員さんに頼むと持ち帰り用の容器に入れてくれることが多い。

私が近所のスーパーに買い物に行ったときのことである。レジは混雑していて自分の番が来るまで15分程度、待たなければならなかった。私の前にいたのは親子連れで、小さな子供が「お母さん、お腹が空いたよお」とダダをこねている。すると母親は、買い物かごに入っていた生春巻きのパックを破り、そのうちの1本を子供に与えていた。精算前の商品を食べてしまうというのは、良くないことではあるが、ベトナムではちょくちょく見かける。

そもそも一部の大型スーパーには、レジの外ではなく内側、つまり売り場の中にイートインのコーナーを設けているところがある。そこに持ち込むには、もちろん精算を済ませておく必要があるが、イートインコーナーに出入り口が設けられているわけではない。未精算のものを持ち込んで食べていても、気が付かれないだろう。実際、レジで空っぽになったお菓子袋を見せながら、「これは精算前に食べてしまったので、今、お金を払います」と説明している人の姿を見かけることがある。

ベトナムでこういう状況を見るたびに、最近は「この国で軽減税率が導入されたらどうなるのだろう」と考えてしまう。大混乱になることは間違いない。

例えば料理を持ち帰った場合、店内で食べた分は消費税が10%になり、持ち帰り分は8%となるのだろうか。ドーナッツ屋の例だと、この店は前払い制なので、私は消費税10%を加えた額を支払っている。しかし、そのうち2個は持ち帰りにしたので、差額の2%分を返金してもらわねばならない。

近所のスーパーのケースはどうだろう。5本入りの生春巻きのうち、精算待ちの間に子供が食べてしまった1本は10%で、残りの4本は8%ということだろうか。スーパーの売り場内のイートインコーナーで食事をしている間に、喉が乾いてきて、持ち帰り用に買ってあったミルクを飲んでしまったとする。その場合は追加で2%の税金を払う必要があるだろう。

ベトナムはそもそも、銀行ですら少額のやり取りは四捨五入してしまう国である。2%は誤差の範囲内だ。軽減税率の導入など、決して考えないことだろう。

皆さんも御存知の通り、軽減税率は日本だけではなく、少なくない数の国が採用している。導入した政府の側は、運用が複雑になることは予測しつつ、「それでも我が国の優秀な事業者と消費者は、ちゃんと対応できる」という読みがあったのだろう。日本を含めそれらの国々はすごいなと感じる。

しかし、国民が優秀で複数税率を導入できる国と、国民が大雑把で単一税率を維持する国とを比べると、私としては後者のほうがありがたい。

ちなみにベトナムの消費税は基本的に一律10%である。

写真:ベトナムのスーパーの店内。

(本稿初出:2019年11月25日)
  


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