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サイゴン路地裏物語 2019/02/25 ベトナム人の英語力の裏にあるもの ベトナム人の英語力の裏にあるもの ホーチミン市に住むヴィンさん、カンさん夫妻の長男コイ君は、12歳にして既に英語がペラペラだ。 彼が初めて英語に触れたのは幼稚園のとき。英語を母国語とする先生による授業があったという。通っていた公立の小学校は、ケンブリッジ大学と提携しており、本国から派遣された先生に英語を教わっていたそうだ。 現在学んでいる公立中学でも、毎日2コマ、ネイティブの先生による英語の授業がある。ベトナム人の生徒たち同士が英語で話をすることもあるほど、英語に馴染んでいるそうだ。さらにコイ君は、英語の塾にも週に2回通っている。 彼の家庭は決して例外ではない。ベトナム都市部に住み、少し経済的に余裕がある家庭では、子どもの英語教育に投資を惜しまない。それもこれもベトナムでは以前から「英語ができる」=「豊かになれる」という背景があるからだ。だからお金がある人も、ない人も、必死で英語の習得にいそしんできた。 しかし英語を学ぶのは、一昔前は大変だった。20年ほど前、ホーチミンの大学生さんたちと話をしたときのことだ。彼らは英文科であるにも関わらず、英語の辞書は高価でなかなか買えず、辞書を持っている学生はクラスのごく一部だったという。テスト前になると、辞書を持っている学生の家に集まって、1冊の辞書を交代で使いながら、試験勉強をしたそうだ。 ところが彼らの英語力は高く、聞いてみるとみんなTOEICで900点を超すスコアを持っているので驚いた。 やはり20年ほど前に出会った、路上で物売りをしている少女も語学の達人だった。年齢は10歳前後だっただろう。朝から晩までホーチミンシティ中心部の街頭に立って、旅行者相手に土産物を売っていた。 日本人の私には日本語で「社長さん! これ買ってよ」と声をかけ、中国人には中国語、韓国人には韓国語で、西欧人には英語でと、複数の外国語を使い分けながら、堂々と商談をしているのだ。すべて「商売をしながら覚えた」という。お客さんがどこの国の人かもかなり正確に見分けられるようになったそうだ。 現在、英語を学ぶ環境ははるかに改善されている。辞書や教材は簡単に手に入るし、英語学校も飛躍的に増えた。親たちは、決して安くない授業料を払って子供たちを通わせる。教室数の多い学校の前は、下校時になると、迎えに来た親たちのバイクで渋滞が起きてしまうこともあるほどだ。 一方、お金をかけずに英語を学んでいる若者は今も多い。私の知り合いの若者は会社勤めをしながら、「ネットでBBCのニュースを毎日聞く」「旅行者街のカフェで外国人に話しかける」などの方法で、TOEICの点数を1年で200点上げたそうだ。 そういう話を聞くにつけ、ベトナム人の英語教育に対する並々ならぬ熱気を感じる。そして「いつまでも英語が苦手で……」などと言い訳していてはいけないなと、ハッパをかけられているような気がするのだ。 (初出:読売新聞・国際版 2017年11月3日/改稿:2019年2月25日) コメント(0)
サイゴン路地裏物語 2019/02/18 若者の国で進む高齢化 若者の国で進む高齢化 屋台で麺類を売っているベーさんとの付き合いは、もう10年ほどになるだろうか。彼女はベトナム中部の都市・フエ出身で、御年72歳。家族はいないという。 彼女のように、一人暮らしをするお年寄りを見かけることが、近年、増えてきた気がする。それは統計的にも裏付けられていて、平均年齢が若く、豊富な若年労働力が注目されているベトナムだが、一方で、少子高齢化が進んでいるのだ。 WHOでは、65歳以上の高齢者が7%を超えた社会を「高齢化社会」、14%を超えた社会を「高齢社会」、21%を超えた社会を「超高齢社会」と定義している。ベトナムは2015年には既に高齢化社会に突入しており、18年後には高齢社会になると予測されているのだ。 高齢化社会から高齢社会に達するまでの期間は、フランスが126年、スウェーデンが85年。それに比べ、日本は24年しかなく「世界的に類をみない速度で高齢化が進んだ」と言われるが、ベトナムはそれよりも早いのである。 ベトナムは、さらに深刻な問題がある。日本が高齢社会になったのは1994年で、国は豊かになっていた。それに対し、ベトナムは国が豊かになる前に高齢社会を迎えることになるだろうという点だ。 ベトナム政府も危機感を持っており、近年、高齢者対策にやっきになっているが、まだまだというのが実情だ。一例として年金制度をみてみよう。 20年間以上社会保険料を支払った60歳以上の男性と55歳以上の女性は、原則として年金を受け取ることができる。金額は受給者によって異なるが、総じて少ないようだ。年金を受け取っている知人に金額を聞いてみると「1か月40万ドン」だという。家族で1回外食すれば消えてしまう額である。 このように貧弱な高齢者対策をおぎなってくれそうなのが、ベトナムの人間関係の濃さだ。 例えばベトナムでは目上の人を大切にする習慣が強い。70歳を過ぎてからベトナムに移住してきた日本人が、このようなことを言っていた。「日本にいたときのほうが、孤独で不安だった。ベトナムだと、近所の若者たちが毎朝、入れ代わり立ち代わり『おじいちゃん、おはよう。元気ですか』と訪ねてきてくれる」 べーさんの場合も、周りの人たちが、何かと気にかけている。彼女が数日、姿を見せないことがあった。年が年だけに心配していると、ベーさんの屋台の近くで営業をしている人たちが、「彼女は用事があってフエに帰っているよ。来週には戻ってくるはず」と教えてくれた。 私の隣で麺類をすすっていた男性は、「ベーさんが元気かどうか気になるんでね、近所を通る用事があると、ここで食事をするんだよ」と言っていた。 子供と同居している高齢者が多いのもベトナムのいいところだろう。いくつかの統計データが発表されているが、高齢者の70%程度は同居しているようだ。『平成29年(2017年)版高齢社会白書』(内閣府)によると日本は39%なので、ベトナムのほうが同居率はかなり高い。 ベトナムが高齢社会になると予想される2033年までに、高齢者が安心して暮らせる環境が整うとは考えにくい。しかし濃密な家族関係や、おせっかいな下町の人たちの存在が、制度面の不備を補ってくれるのではないか。私はそこに期待をしている。 (初出:読売新聞・国際版 2017年9月22日。写真は初出時のものです/改稿:2019年2月18日) コメント(0)
サイゴン路地裏物語 2019/02/11 若い才能が花開く国に 若い才能が花開く国に ハノイを本拠地として活動するベトナム国立交響楽団(VNSO)は、毎年夏に「トヨタコンサート」という名前の演奏旅行に出る。今年(*2017年)はハノイ、ホーチミン、そして北部の地方都市・ヴィンフックで計4回の演奏会を開いた。 指揮者は2001年から同楽団の指導をしている本名徹次氏だ。ハノイとホーチミンで取り上げたのはブラームスの交響曲第3番と、ショパンのピアノ協奏曲第2番。 ショパンで独奏をつとめたのはグエン・ベト・チュン(Nguyen Viet Trung)という、弱冠20歳のベトナム人ピアニストである。オーケストラもさることながら、チュン氏の演奏が「素晴らしい」と、当地の音楽ファンの間で話題になった。私自身も、その演奏に魅了され、ハノイでの本番前に話を聞かせてもらった。 舞台上の姿を見ても「若いなあ」と感じたが、面と向かうと、まだ「少年」といったほうがピッタリくる。現在、ショパンの出身地であるポーランドのワルシャワで音楽を勉強中だという。 いちばん好きな作曲家はショパンで、中でも「24の前奏曲集」がお気に入りだそうだ。平均して1日6時間は練習するという生活は「子供の頃は嫌だったこともあるけれど、今は楽しい」という。 好きなピアニストをたずねると、世界的に有名なベトナム人ピアニストであるダン・タイ・ソン氏の名前がいちばんに出てきた。ソン氏は、1980年のショパン国際ピアノコンクールで、アジア人として初めて優勝し、世界を舞台に活躍している。チュン氏は、そんなソン氏に続くホープの一人と目されているそうだ。 そもそもベトナム人は大の音楽好きである。しかし職業音楽家を巡る環境は厳しい。ベトナム国立交響楽団の団員は国家公務員だが、給与は低く「団員のほとんどは副業を持っているだろう」(本名氏)という。 彼らは、個人的に楽器の演奏を教えたり、ホテルやカフェで演奏をしたりして、収入の足しにしているそうだ。 楽団のズン事務局長は「国からの予算は削減傾向にある。これでは音楽院を卒業した優秀なベトナム人は、生活の安定を求めて国外に出てしまう」と危機感を隠せない。良い楽器や自家用車を持っている人もいるが、それは一部だ。 ベトナムは都市部とそれ以外の格差が非常に大きい。農村部に行くと、電気や水道すら来ていないところもある。そういった状況を考えると、物的な社会基盤の整備が優先されるのは、やむを得ないだろう。 しかし文化面の環境整備にもお金が流れるようになって、ベトナムが、物質面だけでなく心の豊かさもあふれる国になって欲しい。そしてチュン氏のように才能を開花させる若いベトナム人が、続々と出てくることを願っている。 注)写真はリハーサル中のチュン氏。後ろは指揮者の本名氏。 (初出:読売新聞・国際版 2017年9月8日。肩書などは取材した2017年8月当時のものです/改稿:2019年2月11日) コメント(0)
サイゴン路地裏物語 2019/02/04 夜の街で働く少女 夜の街で働く少女 彼女の名前はニーちゃん。年齢は9歳。ホーチミンのバックパッカー街として知られるブイヴィエン通りで、チューインガムを1個1万ドン(約48円)で売るのが仕事だ。 路上に椅子を並べた屋台で飲み食いしている人たちの間を回って買ってもらう。スーパーに行くと5000ドン(約24円)程度なので、2倍の値段をつけているわけだが、それでもわずかな額だ。 「学校は行っているの?」 と私が尋ねると、彼女はこう言って胸を張った。 「ちゃんと毎日、行っているよ。学校が終わった後、毎晩、夕方4時くらいから夜8時か9時まで、ここで働いているの」 家があるのは4区。以前はスラムがあって危険だと言われていた場所だ。市中心部の1区に隣接する便利な立地なので、近年は開発が進められ、状況はめざましく改善している。 「お母さんは?」と聞いてみると、「別のところで働いているから私一人」との答えが返ってきた。 ブイヴィエン通りには酔漢があふれ、肌もあらわな女性たちが客引きをしている。さながら新宿歌舞伎町のようだ。そんなところで、わずか9歳の女の子が一人で商売をしているとは……。 ここには、物売りがたくさんいる。どちらかというと女性の比率が高く、彼女のような子どもも多い。 乳飲み子を抱きながら「この子のミルク代を」と施しを求める女性たちがいる。中には本当の子どもでない場合があるという。「お金がもらいやすい」という理由で、他人の子どもを連れているのである。 ベトナムでも誘拐事件はあるが、身代金目的ではなく、商売の道具に使うためだという話も聞いた。「障害のあるほうがお金をもらいやすい」と、わざと子どもたちの体を傷つけることもあるそうだ。 「少しでも生活費の足しになれば」と、商品を買ったりお金を渡したりするのは簡単ではある。しかし、それがこういう行為を増長させることになってしまう可能性があるとなると、二の足を踏んでしまう。 周囲の人に話を聞いてみると、どう対応すればいいのか、みんな苦慮しているようだ。 ある日本人在住者は、宝くじを何枚か持ち歩き、施しを求められた時には「夢をあげよう」と言って、それを渡していたという。「お金は子どもの手には届かない恐れがあるが、食べ物なら大丈夫だろう」と、あめ玉を持ち歩いている旅行者の話も聞いた。 ベトナムは急速な勢いで豊かになりつつあるが、それに乗れずに、いまだに底辺の生活をしている人たちも少なくない。ニーちゃんのような子どもの姿が夜の街から消えるのは、いつのことになるのだろう。 (初出:読売新聞・国際版 2017年8月25日/改稿:2019年2月4日) コメント(0)