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サイゴン路地裏物語 2021/08/30 カフェの卒業生 カフェの卒業生 「『子供が高校生になりました』って、卒業生が家族おそろいで報告に来てくれたよ」。 ミーさんはこう言って、目を細めた。 彼は学校の先生ではない。ソンチャンというレストランを営んでいる。「卒業生」というのは、かつて彼が経営したカフェをデートで利用し、その後、結婚したカップルのことだ。 あるベトナム人から、「経験した恋の数だけカフェがある」という話を聞いた。ホーチミン市の若者のデートは、安い屋台でさっと食事を済ませ、その後、カフェで長居するパターンが多いという。同じ店に毎回通い、別れてしまうとそのカフェには立ち寄らない。新しい恋人ができると、別のカフェを選んで利用する。 結婚すると、独身時代ほどには頻繁にカフェでデートしなくなる。自宅でゆっくり話ができるからだろう。しかし、誕生日とか結婚記念日など特別な日には、かつて行きつけだったカフェに足が向く。結婚が決まると報告しに行ったり、子どもが生まれると見せに行ったりする人もいる。 どのくらい一般的かは分からないが、20数年前、わたしが妻と交際していた時も、食事の後に行くカフェはいつも同じだった。ミーさん夫妻の営むソンチャンである。英語に訳すとムーンリバーというロマンチックな響きだ。 市内のビンタイン区のタンダと呼ばれるエリアにあった。サイゴン川の中洲で、中央を貫く一本道の両側に川の見えるレストラン、カフェが立ち並ぶ。若者の支持が高く、恋人ができたら一緒に行きたいカフェが何軒かあり、私達の通ったソンチャンはトゥイチェと並ぶ人気店の1つだった。 小さな森のような庭園カフェで、川に向いた2人掛けの椅子が並ぶ。席と席は少し離れていて、隣の会話が邪魔にならない。明るさを抑えた間接照明で、背後に流れる音楽も控えめ目。飲み物を持ってきてもらったときに料金を払う。その後は2時間いても、3時間いても、文句を言われないし、こちらが声を掛けない限り、店員は席の近くに寄ってこない。 妻とソンチャンに通っていた頃、オーナーのミーさん夫妻と話す機会はなく、二人と知り合ったのは偶然だった。 結婚してベトナムに住み始めてから、取材で訪れたレストランがソンチャンという店名。オーナーに「実はこのすぐ近くにあった同じ名前のカフェに通っていた」と話した。するとうれしそうに自分を指差しながら、「それ、私の店です」と。 夫妻はカフェを閉め、近くに故郷クイニョンの郷土料理を味わってもらうレストランを出したのだという。調理を担当する奥さんも話に加わり、「あなたは私達のカフェの卒業生だから家族の一員だ」と盛り上がった。 それから15年以上にわたり、家族ぐるみの付き合いが続いている。ソンチャンは人気のカフェだっただけに、家族連れでお店に来る卒業生が多くいるそうだ。こういうカフェ文化は、ベトナム人の生活に潤いを与える要素の1つであるに違いない。 【写真キャプション】 ソンチャンの跡地にできたカフェ。雰囲気は引き継いでいる。 (初出:時事速報ベトナム版2020年10月26日/改稿:2021年08月30日) コメント(0)
サイゴン路地裏物語 2021/08/23 脱プラスチック製ストロー 脱プラスチック製ストロー カバンの中にいつも「マイストロー」を入れている。よく利用するカフェで購入したものだ。布製のバッグに、スムージーなどを飲む時に使う太いタイプ、細くて真っ直ぐなタイプ、緩やかに先の曲がったタイプが入り、それに掃除用ブラシを加えた4点セット。価格は合計7万9000ドン(約350円)だった。 ホーチミン市のカフェでプラスチック製から代替品のストローへの移行が始まったのは2年ほど前だったと思う。素材は金属、ガラス、竹、紙などさまざまだ。店内で代替ストローを出すだけでなく、商品として販売する店もある。環境意識だけでなく「これはもうかる」という商売っ気が働いたのかもしれない。 プラスチック製ストローへの注目が世界的に高まったのは2018年だっただろうか。米国のシアトル市が18年7月にストローを含むプラスチック製の食器(フォーク、スプーン)の使用を禁止したというニュースを覚えている。 ベトナムでもストローのニュースを見掛けるようになり、大手スーパーのサイゴンコープが19年4月に「環境保護のため5月からすべての店舗でプラスチック製ストローの販売を中止する」と発表した。 驚いたのはベトナムでの代替ストローへの移行の速さだ。レストラン、カフェが次々とプラスチック製ストローの使用をやめると決めた。 代替ストローを採用するカフェの中には、1杯3万ドン(約130円)ほどの手頃な価格でコーヒーを提供する店もある。そうしたカフェも自分の店のロゴを入れた竹や金属のストローを使っており、代替ストローに切り替えても経費はそれほど増えないのかもしれない。 ベトナム人、特に南部の人は「行動を起こすのも早いが、飽きるのも、諦めるのも早い」という傾向があると思うことがある。 開業したレストランの取材に行ったが、記事が出た時には閉店していた、ということを何度も経験した。オーナーは「1カ月ほど営業してみたが、全然、もうからないので閉めた」とニコニコしている。「即断即決もいいけど、出店前にもう少し考えたら?」と言いたくなるほどだ。しかし、この代替ストローではベトナム人の「腰の軽さ」が良い方に出ているのではないか。 もっともベトナムでも、一時の勢いはないように感じられる。当初は「この調子なら、カフェでプラスチック製ストローを見掛けなくなる日も近い」と思ったが、代替ストローを採用する店の増加は頭打ちのようだ。 代替ストローを販売するカフェですら、店内で飲料を提供する際、いまだにプラスチック製ストローだったりする。早くもストロー熱が冷めつつあるのかもしれず、私のようにマイストローを持ち歩く人は少数派だ。 日本はどうだろう。代替ストローを見掛ける機会は、ベトナムに比べ圧倒的に少ない。「取り組みが遅い日本はダメだ」などと安易に決め付ける気はないが、「ベトナムでできるのに、どうして日本では」と、疑問が湧いてくる。 最大の障害は技術力やコストではなく、日本人の慎重な気質ではないだろうか。だとすれば、少しもったいない。時には、ベトナム人と同じように軽やかに決断した方が良い場合もあるのではないだろうか。 【写真キャプション】 ベトナムのカフェで見掛けた代替ストロー。左上:金属製、右上:竹製、左下:ガラス製、右下:紙製。 (初出:時事速報ベトナム版2020年09月30日/改稿:2021年08月23日) コメント(0)
サイゴン路地裏物語 2021/08/16 かつて日本は敵国だった かつて日本は敵国だった 9月2日はベトナムの建国記念日(国慶節)に当たる。ホー・チ・ミンがハノイのバーディン広場で独立を宣言したのが1945年のこの日だ。ベトナムを植民地支配していたフランスからの独立と理解されているが、当時、ベトナムを実質支配していたのが「大日本帝国」であったことを忘れてはならないだろう。少し歴史を振り返りたい。 第2次世界大戦末期の45年3月9日、日本軍はインドシナ半島に駐留するフランス軍を攻撃・制圧し、半島を支配下に収める。しかし約5カ月後の8月15日、日本は無条件降伏。ホー・チ・ミン率いるベトナム独立同盟(ベトミン)はこれを好機と捉え、独立を目指してベトナム全土で蜂起した。ホーチミン市で通りの名前にもなっている8月革命(カクマンタンタム)だ。 ホー・チ・ミンは8月19日、ハノイのオペラハウス前の広場に集まった数千人の市民に、独立運動への参加を呼び掛けた。これを記念し、「8月革命記念日」が定められた。オペラハウスの正面には、集会が行われたことを記すプレートが埋め込まれている。ホー・チ・ミンが独立を宣言した9月2日は、日本がポツダム宣言に調印した日だった。事ほどさように、ベトナムの独立と日本の関連は深い。 親しくなった年配のベトナム人に、過去の両国関係を尋ねたことがある。特に気になったのは44年から45年にかけてベトナム北部で発生し、40万人から200万人とも言われる餓死者を出したとされる飢饉(ききん)だ。当時、進駐していた日本軍による食料調達が、死者数を増やした理由の一つだと言われる。 「もちろん知っているよ。ベトナムの歴史の教科書に出てくるからね」。 彼は笑顔でこう答えた。 「日本人の一人として、あなたの国に申し訳ないことをしたと感じている」と、私はわびたが、「日本軍が進駐したのも、大量の餓死者が出たのも歴史上の不幸な出来事の一つで、どこの国にも起こりうる」ときっぱり。 「日本に何ら悪い感情は持っていない。過去は過去だからね」と語り、勇猛果敢な日本軍の兵士は、敵ながらベトナム人から一目置かれる存在だったと話してくれた。 今でこそ日越関係は非常に良好だが、近現代史において、日本はベトナムにかなり冷淡な態度を取った。20世紀初頭に日本を頼ってきたファン・ボイ・チャウを冷遇したことに加え、フランス進駐時代の出来事、ベトナム戦争時には米軍が沖縄の基地をベースに出撃した。こういう背景にも関わらずベトナムが世界有数の親日国であり続けるのは、この国の人達の寛容さと未来志向によるところが大きいのではないかと感じる。 日本は76回目の終戦記念日、ベトナムは76年目の建国記念日を迎えようとしている。こうしたタイミングで、両国の歴史に少し思いをはせてみてはいかがだろうか。 【写真キャプション】 ハノイのオペラハウスにある8月19日の集会を記念するプレート (初出:時事速報ベトナム版2020年09月03日/改稿:2021年08月16日) コメント(0)
サイゴン路地裏物語 2021/08/09 投票側から見た総選挙 投票側から見た総選挙 「あんなの茶番ですよ」。マン君は吐き捨てるように、こう言った。5月23日に行われたベトナムの総選挙のことである。5年に1回実施され、国会議員500人などを選出する。投票率は99.6%だったそうだ。 ベトナムの選挙が日本と異なる点は多々ある。日本では選挙前になると、候補者の名前を連呼する選挙カーが走り回り、各所で街頭演説が行われるが、ベトナムではこれに類するものを見たことがない。 そんな中、高い投票率を確保するため、さまざまな取り組みがなされている。大きな通りには、投票を呼び掛ける看板や垂れ幕がずらりと並ぶ。選挙が近づくと、携帯電話には投票を促すメッセージが送られてくる。今回、最初に受け取ったのは確か投票日の10日前で、5日前からは毎日届くようになった。 電話をかけようと番号を押すと、呼び出し音が鳴る前に、投票を呼び掛けるメッセージが聞こえてくる。ベトナム語が分からない外国人の中には「番号を間違えたのだろうか」と電話を切ってしまう人もいたようだ。飲食店を営む知人は「『デリバリーを頼もうと電話をしたのに通じない。コロナの影響で閉店したのか』とメールで連絡をしてくる人がいた。営業妨害ですよ」と苦笑していた。 「選挙当日は朝から電話がかかってくるのです。投票に行けとね」。こう教えてくれたアイン君は、5年ほど前から自宅がある坊(ベトナム語でphường。区の下にある行政単位)で役員をしている。日本でいえば町内会の役員みたいなものだ。そんな彼でも「選挙に興味はない」という。しかし「『投票しない人は非国民だ』と電話で責められるので投票した」そうだ。 フック君は「出来レースの選挙なんて、投票するのは時間の無駄」と、投票当日は朝から遊びに出た。夜になって自宅に戻ると待ち受けていたのは、彼の住む地区の選挙担当者。すぐに投票所に連れて行かれた。 フーンさん夫妻は投票に行かなかった。それが通ってしまったのは「近所の人が投票してくれたから」。代理投票は禁止されているが、現場では横行しているそうだ。「誰に入れたのかって?それは分からないなあ。投票してくれた人にお任せだから」と言う。 候補者の名前、顔写真、略歴は「立候補者名簿」を見れば分かる。しかしこれを読み込んで真剣に検討する人は少ないようだ。近所の人は、「名簿?ゴミ箱に直行だよ。誰が当選しても同じだから」と話していた。 冒頭のマン君に「どうして選挙は茶番なのか?」と尋ねてみた。 「総選挙前に新しい国家主席、首相が決まっているのですよ。選挙を通じて民意を反映させようとする意思があるとしたら、順序が逆でしょう。こんな茶番劇を続けているから、この国はダメなのです」とあきれ顔だった。 40代半ばになるマン君は、一軒家と高級マンションを所有し、自動車も複数台持っている。成功しているベトナム人ビジネスマンの1人であることは間違いない。マン君だけでなく、今回、話を聞いた知人は富裕層といっていい人たちばかりだ。にもかかわらず、選挙のあり方を含め現在の政治体制には批判的だった。 選挙結果が発表されたのは、投票日から2週間以上たった6月10日。投票当日から開票状況が刻一刻と発表され、翌日には結果が確定する日本とは大違いだ。マン君にいわく、「誰も結果に興味はない」のだという。 私の周囲には「政治には何も期待しない。自分の生活は自分で守る」というベトナム人が多い。選挙への冷めた姿勢にも、そんな思いが垣間見えた気がする。 【写真キャプション】 携帯電話に届いた投票を促すメッセージ (初出:時事速報ベトナム版2021年06月28日/改稿:2021年08月09日) コメント(0)
サイゴン路地裏物語 2021/08/02 ベトナム人妻を持つ日本人に学ぶ ベトナム人妻を持つ日本人に学ぶ 「ベトナム人が何を考えているのか、よく分からない」 当地で暮らすほとんどの方は、こんなため息をつくような思いをしたことがあるのではないだろうか。ベトナムとの付き合いが25年を超え、ベトナム人の妻との結婚生活が20年を迎えた私でも、いまだに意表を突かれることがある。 ホーチミン市には、そういうときに頼りになる心強い仲間がいる。「ベトナム人の妻を讃える会」というベトナム人を配偶者に持つ日本人男性の集まりだ。3カ月に1回程度のペースで、気楽な夕食会を開いている。 2020年6月25日は発足10周年を記念する会合だった。当日は、在住期間と結婚生活が長い2人を特別講師として招いた。私も勉強させてもらうおうと参加した。 1人は、市内で製菓会社を経営する安田佳朗さん。ベトナムに来たのは1994年で、結婚したのは25年前。印象的だったのは、日本にいるお父さんの介護が必要になったときに、奥さんのアインさんが手厚く面倒を見てくれたという話だ。 安田さんとアインさんは共同経営者で、2人そろってベトナムを離れるわけにはいかず、3か月交代で日本に行くことにした。アインさんにとっては言葉も十分には通じない異国の地。しかも面倒を見るのは自分の親ではない。ところがその献身的な介護ぶりは地元で評判になるほどで、安田さんには「ベトナムの女性は素晴らしい。うちの息子の嫁にも誰か紹介してくれないか」という依頼が来たという。 アインさんと同じようにできる人は、ベトナム人でも多くはいないだろう。しかし「家族思い」という点は共通する。ベトナム人を理解する上で、「家族」が重要なキーワードだと改めて感じた。 もう1人のゲストは丹後博資さん。偶然にも安田さんと同じ菓子製造業を営んでいるという。91年にベトナムの地を踏み、結婚生活は26年になった。今年で80歳というが、立ち居振る舞いを見ていると、とてもそんなには見えない。 丹後さんは「気持ちを言葉にすることの大切さ」を語った。 「毎日、『愛しているよ』と言うのです。そうすれば奥さんはご機嫌になる。そして夫にも、それは良くしてくれます」と紹介してくれたが、これは日本人、特に男性には苦手なところだろう。ベトナム人は日本人に比べると、男女ともに言葉を掛けることにマメで、相手を褒めることに躊躇(ちゅうちょ)もない。 「言葉にすること」の大切さは、社員との関係でも同じと言える。私自身、軽い気持ちでベトナム人社員を褒めたら、見違えるように仕事を頑張ってくれて驚かされたことが何度もある。 丹後さんの話で、一同が深くうなずいたのが「ベトナム人は鏡みたいなもの」という言葉だ。不機嫌に接すれば不機嫌に返してくる、笑顔で接すれば笑顔が返ってくる。万国共通とも言えるが、ベトナム人にはこの傾向が強いと思う。 日本の接客業の人は、こちらが不機嫌でも笑顔で接してくれる。ベトナムでは愛想のない店員さんが少なくないが、笑顔で話し掛けると、仏頂面が一転、こぼれんばかりの微笑みに変わる。そんな経験をお持ちの人は多いだろう。 2人の話を聞いて「ベトナム人の奥さんとより良い夫婦関係を築くコツは、ベトナム人社員との人間関係づくりにも共通するものが多い」と感じた。ベトナム人の社員がやる気のなさそうな時には、自分は仕事を嫌々やっていないかどうか。ベトナム人の社員が機嫌の悪い時は、自分は仏頂面で接してないかどうか。わが身に立ち返ってみてはいかがだろうか。 【写真キャプション】 10周年記念の会合には、会員のうち20人が参加した。奥さんへの配慮から、毎回夜9時すぎにはお開きとなる。 (初出:時事速報ベトナム版2020年07月28日/改稿:2021年08月02日) コメント(0)