サイゴン路地裏物語

ベトナム・ホーチミン市の路地裏に住む日本人が見た素顔のベトナム人。


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サイゴン路地裏物語

SNS依存症



SNS依存症

「妻がSNS依存症なんです」
愛妻家で知られるヴィエット君が浮かない顔をしている。奥さんがソーシャルネットワークサービス、いわゆるSNSに夢中なのだそうだ。

ベトナムでいちばん人気のSNSはフェイスブック。同社が2015年に行った調査によると、ベトナム人のフェイスブックの平均利用時間は1日2.5時間だったそうだ。1割以上の人が1000人を超す「友達」を持っているという調査結果もある。その影響力はマスメディアを超えるほどだ。

私は、
「ウチの奥さんだってフェイスブックに費やす時間は相当長いですよ。浮気やギャンブルに走るわけじゃなし、SNSくらい大目に見てあげたら」
と慰めたが、彼の話を聞いてみると、私が考えていたより深刻である。

奥さんがSNSを始めてから、家族の会話が消えた。夕食時にも奥さんは、夫や子供と言葉を交わさず、SNSを見ている。

「彼女が楽しむだけでなく、僕にもSNSへの参加を強制してくるんですよ」
奥さんがSNSに何か投稿をすると、それに最初の「いいね!」をつけるのは、夫であるべきだという。

あるとき、奥さんが朝一番で投稿した内容に対して、「いいね!」をつけるのが午後になったことがあった。

帰宅すると奥さんは激怒していて、
「私の投稿をどうして無視したの? 他の友達が次々と『いいね!』をしているのに、肝心の自分の夫が何も反応しない。私は大恥をかかされた。これは私を愛していない証拠だから離婚する」
とまで言い出した。

「彼女の友達と外食すると大変ですよ。レストランを出た10分後くらいには、友人達のSNSに次々と写真がアップされるんです。私がそれに遅れをとると、また怒り出します」

「友達の書き込みの中に、自分が言及されているところがないか」と気になるから、友人のSNSにはすべて目を通す。1000人を超える友達がいるから大変だ。

奥さんは専業主婦なので、朝から晩までSNSを見続けている。そのため家事も手に付かない。スマートフォンを次々と買い換えるのもSNSのためだ。確かにここまでとなると、ヴィエット君が嘆く気持ちも分かる。

これは彼だけの問題ではない。ベトナムにおけるSNS依存症は、社会問題として注目を集めている。スマホを取り上げられると、発作や幻覚症状が出る人もおり、体調を崩して入院にいたる例も増えているそうだ。

一方で、ベトナム人の濃い人間関係を維持するツールとして、SNSが活用されている面もある。

例えば私の妻は、SNSで親戚や友人の情報を常にアップデートしており、どこかの家庭に赤ちゃんが生まれたと知ると、すかさずお祝いを手配する。こういう時にSNSは便利だ。

先日、奥さんがヴィエット君に新しいスマホをプレゼントしてくれた。
「妻は『これであなたも私や子供の写真をSNSに、もっと投稿できるわね!』って言うんですよ」
しかしヴィエット君は、まだ新しいスマホを箱から取り出せずにいる。

(初出:読売新聞・国際版 2017年7月28日/改稿:2019年1月28日)

サイゴン路地裏物語



バイクタクシーと配車アプリ

久しぶりにバイクタクシーに乗った。ベトナム語ではセオムという。セは「車両」を意味する言葉で、オムは「抱く」という意味。バイクの後部座席に乗って後ろから運転手に抱きつく格好になるので、こう呼ばれている。

以前は、セオムを探して炎天下を歩き、見つけたら値段交渉するという手間があったが、今は配車アプリがあるから楽だ。涼しいカフェでスマホを使って近くにいるセオムを探し、店の前まで来てもらう。料金はアプリに提示されるから、値段交渉の必要もない。

配車アプリを使い始めて驚いたのは、値段の安さだ。値下げ交渉をして苦労の末に獲得した「最安値」と同等、もしくはそれより安い金額を、配車アプリは提示してくる。

今日も「普通のバイタクだったら、交渉しても4万ドンよりは下がらないだろうな」という目的地まで、配車アプリに表示された運転手の最安値は3万ドンだった。

バイクの後部座席で便利さを実感しながら、私は、昔、仲良くなったセオムのオヤジから聞いた話を思い出していた。その時の気分で決まっているように見える値段にも、法則性があるというのだ。

「同じ距離でも、空身の客と、大きな荷物を持っている客だったら、後者のほうが高くなる。重たい荷物を運ぶのは大変だからね」
「昼と夜なら、当然、夜のほうが高い」
「晴れの日と雨の日なら、雨の日のほうが高い」
「周辺部から中心部へ行くのと、その逆なら、前者のほうが安い。中心部に出たら、そこでお客を拾える可能性が高いからね」

そして最後にこう言ってオヤジはニヤリと笑った。
「それから、アオザイを来た可愛い女の子を乗せる時は、もちろん安くなる」

こんな経験をしたこともある。セオムで移動中、私は運転手のオジサンにカタコトのベトナム語でいろいろ話しかける。その日も、いろいろ質問をしていた。
「オジサン、ご飯は食べたの?」「子供は何人?」「へえ、オジサン、若そうに見えるのに、もう社会人と大学生の子供がいるんだ」などなど。

目的地に着いてお金を払おうとしたら、
「お前は外国人なのにベトナム語をしゃべるし、ベトナム人の奥さんもいて、ベトナムで働いている。良い奴だからお金は要らない」
と受け取ってくれなかったのである。

配車アプリの便利さに慣れてしまった今、それ以前の状態に戻ることは考えられない。しかし私は、アオザイを来た可愛い女の子なら安くなり、外国人がベトナム語で話しかければ割り引いてもらえる、そんな時代が少し懐かしい。

(初出:読売新聞・国際版 2017年7月14日/改稿:2019年1月21日)

サイゴン路地裏物語



私の国に来てくださってありがとう

その日、私が立ち寄ったカフェはセルフサービススタイルの店だった。レジでお金を払うと、私が「電子番号札」と呼んでいる小さな機器を渡される。注文した品の用意ができると、それが光を点滅させながら音を出すので、カウンターに受け取りに行くという仕組みだ。

コーヒーを注文した私は、「お店は空いているし、すぐ出てくるだろう」と、席には着かず、受け取りカウンターの前に立って待っていた。

すると若い女性の店員さんが話しかけてきた。
「お客さんは、どこの国の人ですか?」
「結婚していますか?」
「お子さんは何人? 男の子、それとも女の子? 何歳ですか?」
など、どれも初対面のベトナム人から必ず聞かれる、ありふれた質問である。

「いつからベトナムに住んでいますか?」
と問われて、2002年からだと答えると、
「長いですねえ!」
と彼女は驚いている。

立ち話をしているうちに、注文したコーヒーが出てきた。すると彼女が、
「記念に握手をしてもらえませんか?」
と手を差し出してくるではないか。

照れながら右手を出すと、彼女は両手で私の手を握りながら言った。
「私の国に来てくださってありがとう」

外国人が自分の国を気に入って長く住んでくれれば、確かに誰でも嬉しい。しかしベトナム人の場合は、それだけではないと思う。彼らは自分たちが経済的弱小国であることを知っている。それだけに、先進国と言われる国の人がベトナムに長く住んでいると、非常に喜ぶ。その外国人が少しでもベトナム語を話すと、なおさらである。

さらにベトナムは世界に冠たる親日国だ。私は日本人というだけで、ベトナムでは相当得をしている。この日のようにお礼を言われたり、握手を求められたりすることも、月に1〜2回はあるだろう。

私は長くベトナムに住んでいるが、感謝されるようなことは何もしていない。むしろ、私のほうが「住まわせてくれてありがとう」とベトナムにお礼を言わなければならない立場だ。

そんなベトナムの人たちに対し、私は「日本のことを好きでいてくれてありがとう」「日本に来てくれてありがとう」という気持ちを持って接しているだろうか。

「ベトナムは人件費が安いから助かる」「ベトナム人は、もっと日本に旅行に来てお金を落として欲しい」など、日本側の利益ばかり考えていないだろうか。自分はベトナムが親日であることを、当然のように受け止めていないだろうか。思わずそんな自問自答をしてしまった。

(初出:読売新聞・国際版 2017年6月30日/改稿:2019年1月14日)

サイゴン路地裏物語



台風で床上浸水。それでも笑顔

私が帰宅すると自宅は真っ暗で、家の中はまるで小さなプールのように水がたまっていた。台風9号(日本では台風29号)がベトナム南部に上陸した2018年11月25日日曜日の夜のことである。

昼過ぎから始まった横殴りの雨と強風の中、私は外出していた。1区から帰路についたときは、既に道路という道路は冠水して、まるで川のようになっている。

自宅のある路地に入ると、そこは漆黒の闇に包まれていた。停電である。玄関を開けて携帯電話のライトで家の中を照らすと、家の中にも水は入ってきている。床に置いていたサンダルが、家の中にプカプカ浮いているのが見えた。

水の深さは15センチから20センチくらいあるだろうか。家の中への水の流入は続いているが、止める手立てがない。ロウソクの灯りで夕食をとると、私は2階の寝室に上がり、さっさと寝ることにした。

一夜明けて26日の朝。空はまだ曇っていたが雨は止んでいた。道路から水は引き、電気も戻っている。さっそく水のかき出しを始めた。道具はチリトリ。

周囲を見ると近所の家々でも、水をかぶってしまった家具類を道路に出して干したり、雑巾とバケツで家の中にたまった水を汲み出したりと、そこかしこで同じようなことをしている。

作業をしている者同士、目が合うと笑顔で「昨日の雨はすごかったねえ」などと声をかけあう。私の家の前を通りかかった若い女性は、目が合うと「頑張ってくださいね」というように、ニッコリ笑いかけてくれた。いつもの路地裏の明るい雰囲気に、救われるような気分になる。

結婚前、私が妻の家に遊びに来たとき、やはり豪雨で床上浸水になったことがある。

当時、まだ健在だった義理の父に、
「こういうことが頻繁に起きている状況に対し、政府はどういう対応をしているのですか?」
と尋ねた。

洪水が発生するのは、雨量のせいもあるが、排水設備の不備も大きな原因だからだ。それを整備するのは行政の責任だろう。

義父はこう答えた。
「政府は何もしてくれないからね。我々庶民も期待はしていない」

「社会インフラの整備は政府の仕事じゃないんですか。特に共産主義の国では、資本主義の国よりしっかりしているべきだと思うのですが」
私がこう疑問を呈すると、彼はこう続けた。
「政治体制に関係なく、自分たちの生活は自分たちで守る。これが基本じゃないかね」

義父は、
「この地域の下水設備は、南北統一以前の古いものに依存をしていて、その後の人口増加に対応できていなかった。だから近隣の住人がお金を出し合って業者を雇い、改良工事をしてもらったんだよ」
という話も教えてくれた。

例えば日本で、今回のような洪水が発生したら、住民は行政に排水設備の改善を要求するだろう。経済的損失を被った場合は、補償を要求するかもしれない。日本の行政のサービスレベルは、ベトナムに比べて遥かに高い。それ故に「自分たちの生活は行政が守ってくれる」という意識が強くなるのではないか。

一方のベトナム人は、「自分たちの生活は自分たちで守る」という気概を、日本人よりは強く持っているように感じる。それは、非力な行政に対する諦めの気持ちから来るものかもしれないが。

ベトナム人が、洪水の後始末をしながら笑っていられるのは、彼らが生来持っている楽天主義もあるだろうし、天災に慣れていて鈍感になっているだけかもしれない。しかし、他者をアテにしないことから来る精神的なタフさも、その理由の1つではないだろうか。

(初出:ベトナミストクラブ会報『モンナム』2018年12月号/改稿:2018年12月7日)
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