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サイゴン路地裏物語 2018/12/21 5年ぶりの一時帰国を決めたのは 5年ぶりの一時帰国を決めたのは 「こんなことしている場合じゃないでしょ!」 マッサージ師の女の子がいきなり怒り出した。ここは下町にある小さなフットマッサージ屋さん。平日の昼下がり、店内にいる客は私一人である。マッサージを受けながら、担当してくれたトゥイさんという女性と世間話をしていた。 「出身はどちら?」 「ベンチェーです」 「ホーチミンに出て来て何年になるの?」 「5年くらいよ」 「結婚しているの?」 「4年前に結婚したんだけど、もう離婚したの」 「子供は?」 「3歳になる男の子がいるわ」 など私からの質問が一段落すると、今度はトゥイさんから日本について、いろいろ尋ねられた。 「日本にはどれくらいの頻度で帰るんですか?」 「実は、もう5年以上、帰っていないんだよ」 私がそう答えるとトゥイさんの手が止まった。そして怒り出したのである。 「あなた、ご両親が日本にいるのに、5年も帰っていないって、それ、どういうことなの!」 「いや、忙しくて……」 「親の顔を見に帰る時間はないのに、マッサージに来る時間はあるんですか」 「時間だけじゃなくて、航空券も高いんだよ」 「高いって、いくら?」 私が1000万ドン以上することを告げると、「え? そんなに高いの」と彼女は一瞬ひるんだ。そしてこう言葉を続けた。 「私は月に1回、お店が休みの日にはベンチェーに帰るの。私の顔を見ると両親は涙を流して喜ぶのよ。親というのは、子供が近くにいてくれるだけで嬉しいものなの。あなたのご両親だって、すごく寂しい気持ちでいらっしゃると思うわ」 1時間のマッサージが終わり私はチップを差し出した。ところが彼女はそれを押し戻し、 「チップは要りません。これを航空券代の足しにしてください」 と言うではないか。 こういう店では、マッサージ師はチップのみが収入ということが多い。これでは彼女はタダ働きになってしまう。 彼女に背中を押されるようにして出口に向かった。基本料金の20万ドンを受付で支払う。それを受け取った店長らしき中年女性が、トゥイさんを指さしながら「女の子へのチップは?」と聞く。 私がトゥイさんの顔を見ながら一瞬ためらっていると、彼女は「私はもう受け取りました」と答えてしまった。そして私に笑顔を返しながら「いいの、いいの」という風にうなずいている。 店を出た私は、すぐにカフェに入ってパソコンを開いた。日本行きの航空券を予約するためである。 (初出:読売新聞・国際版 2018年8月10日/改稿:2018年12月21日) コメント(0)
サイゴン路地裏物語 2018/12/17 宝くじを売るおばあさん 宝くじを売るおばあさん 私が彼女に関して知っていることは、たいして多くない。私が時々訪れる麺屋にやってくる宝くじの行商人のことである。 名前はレー・ティー・フーンさん。年齢は70代半ば。ベトナム中南部にあるフーイエン省の貧しい漁村で育ち、成人してからホーチミンに出てきた。ご主人さんは自宅で宝くじの販売代理店をしている。彼女は毎朝、彼から宝くじをひと束受け取って家を出て、終日、街の中を歩いてこれを売る。 ある日の夕刻、私が麺をすすっているとフーンさんがやって来て、10組ほどいる客の間を回り始めた。1杯4万ドン(約200円)の麺類を売る庶民的な店である。客も決して金持ちではない。 しかも彼女は食事をしている客の顔の前に、笑顔もみせず宝くじの束を差し出すだけだから、売れ行きは悪い。しばらくすると疲れたのか、空いている席に座って休憩し始めた。 お店の側からすればいい迷惑だろうと思うのだが、彼女を追い出したりはしない。それどころか、私は以前、驚く光景を目にしてしまった。 その日、私が麺屋を訪れたのは昼ごはん時だった。そこへやってきたフーンさんは、入り口にいちばん近い席に座った。するとお店の人が、皿の上にご飯とおかずを載せて彼女に出したのである。フーンさんは、当然のようにそれを食べ、お金も払わずにお店を出て行った。 思わず店の人に、「ご家族なんですか?」と尋ねた。 「いいえ。でもあのおばあさん、貧乏で苦労されているんですよ」 お店を切り盛りしている中年の女性は、去っていくフーンさんの背中を目で追いながら、そう答えた。 さて、話はくだんの夕暮れ時。夕食を終えた私のところにフーンさんがきた。 「今晩は1枚も売れなかったよ」 彼女は盛大にため息をつきながら、私の横にどっかりと腰を降ろす。 「夕食はとったの?」 「まだだよ。今日はこれを全部売らなきゃならないんだ。それまでは夕食もおあずけだね」 時刻は18時を回っているのに、手元には50枚ほどの宝くじの束が残っていた。 「今日は何枚、買ってくれるの?」 私が買うものだと決めつけている。彼女が売っている宝くじは1枚1万ドン(約50円)。今日も2枚だけ買うことにした。彼女はお金を受け取ると、再び夜の街へと姿を消した。 ホーチミンの街中では、宝くじの行商人の姿を頻繁に見かける。儲けは少ないが、資格も特別な能力も必要ない仕事だから、職につけない社会的弱者の受け皿だとも言われる。しかしそれが成り立っているのは、ここの麺屋のような、優しい人たちがいるからだろう。 (初出:読売新聞・国際版 2017年6月16日/改稿:2018年12月17日) コメント(0)
サイゴン路地裏物語 2018/12/10 結婚までの長い道のり 結婚までの長い道のり 以前に娘の家庭教師をしてくれていたハンさんが結婚することになり、数日前、披露宴に出席した。 「彼氏ができたので」と2人して我が家を訪れてから、この日を迎えるまで、何年かかったことだろう。ベトナムでは「結婚とは家と家とが結びつくことだ」という風潮が、日本よりもはるかに強い。だから結婚には、何かと手間と時間がかかるのだ。 例えば、私たち夫婦の場合、つきあい始めてから結婚するまで約3年かかっている。最初しばらくはグループ交際だった。彼女を外出に誘うと、必ず同僚や友人がついてくる。 一対一で会うためには「あなたのご両親から、私の両親に正式な申し込みが必要」だと言われた。当時住んでいたのは、彼女がベトナム、私は日本である。 そこで私が訪越するときに両親に同行してもらい「ウチの息子が、お嬢さんと交際する許可を頂きたい」と申し込みをした。そこで許しが出て、初めて2人だけで外出ができるようになったのだ。 その後、彼女の家族行事に出席する機会は減るどころか、逆に増えた。親族の誰かの誕生日会があれば参加するし、小さな甥っ子・姪っ子を遊びに連れて行くこともあった。 それを積み重ねて、結婚の申し込みができるだけの信頼が得られたのは、交際開始から1年半後のことである。 プロポーズには、私の両親から直筆の手紙による申し込みが必要だという。父に頼んで日本語で手紙を書いてもらい、それに英語の翻訳文を添付して彼女の両親に渡した。具体的に結婚の準備に入ったのはそれからだ。 当時の私は「相手の親と結婚するわけじゃなし、なんて面倒くさい」と思っていた。しかし、いざ結婚してみると「結婚前に、本人の家族や親族のことを知っていたのは、いいことだったな」と感じている。 恋愛はともかく結婚となると、「本人たちの問題」で済まないところが少なくない。「この家族なら一緒にうまくやっていけそうだな」と分かった上で結婚できるのはとても安心である。 私たちが結婚したのは2001年だから、17年も前のことになる。最近はベトナムでも「結婚は本人同士の問題」と考えるほうが一般的だろう。親に黙って同棲をする若いカップルもいるし、結婚と恋愛を別物と考える人も増えている。 ただ、結婚を考えているなら、本人だけでなく、家族・親族との相性も事前に確認しておく「ベトナム方式」は、長い目で見ると合理的だと思う。 ハンさん夫婦も長い時間をかけて、お互いの家族同士の親交を深めたようだ。さっそくハネムーンベビーに恵まれたそうで、2人が赤ちゃんを連れて我が家を訪ねてくれる日を心待ちにしている。 (初出:読売新聞・国際版 2017年6月2日/改稿:2018年12月10日) コメント(0)
サイゴン路地裏物語 2018/12/03 徒歩10分圏内で完結する生活 徒歩10分圏内で完結する生活 私の義母・ハンさんにとって、徒歩10分圏内の路地裏が「全世界」である。 彼女はバイクの運転ができないが、それでも不自由することはない。日常生活に必要なものは、すべて徒歩圏内にあるからだ。 食材は、毎朝近くの路地に立つ青空市場で購入する。ホームドクター代わりの薬局は、家の向かいにあるし、美容院だって歩いて行ける。路地の外に出る必要がないのだ。 市内中心部に髙島屋ができて話題になっていることは、知識としては知っているが、別世界のできごとに等しい。彼女にとって「市内中心部に出る」のは、私が「ハノイに出張する」のと同じくらいの感覚なのだろう。 田舎に行くと「家の近所」と「外の世界」の格差はもっと広がる。 10年あまり前のこと、ベトナム中部の街・フエ近郊にある村を取材した。ベトナムの伝統的な編み笠である「ノンラー」を作っている人ばかりが住む集落があると聞いて、話を聞きに行ったのだ。 子どもの頃から編み笠作りをしてきた老女への取材が一段落すると、彼女が質問してきた。 「若い人、あなたはどこから来なすった?」 「日本の大阪です」 「その大阪というのは、サイゴン(ホーチミン市の旧名)よりも遠いのかい?」 私は最初、聞き間違いかと思った。しかし通訳に確認してみたところ、 「このおばあさんは、日本とサイゴンとどちらが遠いのか、本当にご存じないそうです」という。 彼女がこの「ノンラーの郷」を出るのは年に1回。テトと呼ばれるベトナム正月の準備をするためにフエの中心部に買い物にいくときだけだという。 彼女の住んでいるのは、フエの中心部からバイクで1時間足らずである。そんなフエですら年に1回なのだ。彼女の生活は、その小さな集落の中で完結していた。 そういう徒歩圏で完結する生活スタイルにも、少しずつ変化が見られる。 ホーチミン市をはじめ大都市では、近年、大型の駐車場を備えたショッピングセンターが増えている。そこには子供を連れた若い夫婦が、マイカーでやって来ては、大量の買い物をして帰っていく。毎日、近所の市場で買うのではなく、週末に買いだめする人が増えているそうだ。 その情景は、40年ほど前の日本、私の子ども時代を思い出させる。週末、両親とともに、最寄り駅の前にできた大型スーパーに行くと、そこの駐車場は、入場するのに10分、20分待たねばならないほどの混雑ぶりだった。一方、近所にあった八百屋や雑貨屋は姿を消していった。 私の両親が暮らす日本の実家は住宅街の中にある。近所に商店はなく、最寄りのスーパーは約1.5キロ先だ。今は両親揃って車の運転ができるからいいが、安全に運転できなくなったとき、どうなるのだろう。 そうして日本とベトナムを比較すると、徒歩10分圏内で生活が完結するホーチミン市の路地裏は、意外と便利で合理的なのだ。自分自身が老後をどこで過ごすかと考えると、私は路地裏生活を選びそうな気がする。 (初出:読売新聞・国際版 2017年5月19日/改稿:2018年12月3日) コメント(0) Tag:ベトナムホーチミンサイゴン路地裏高齢者フエ