サイゴン路地裏物語
宝くじを売るおばあさん
宝くじを売るおばあさん
私が彼女に関して知っていることは、たいして多くない。私が時々訪れる麺屋にやってくる宝くじの行商人のことである。
名前はレー・ティー・フーンさん。年齢は70代半ば。ベトナム中南部にあるフーイエン省の貧しい漁村で育ち、成人してからホーチミンに出てきた。ご主人さんは自宅で宝くじの販売代理店をしている。彼女は毎朝、彼から宝くじをひと束受け取って家を出て、終日、街の中を歩いてこれを売る。
ある日の夕刻、私が麺をすすっているとフーンさんがやって来て、10組ほどいる客の間を回り始めた。1杯4万ドン(約200円)の麺類を売る庶民的な店である。客も決して金持ちではない。
しかも彼女は食事をしている客の顔の前に、笑顔もみせず宝くじの束を差し出すだけだから、売れ行きは悪い。しばらくすると疲れたのか、空いている席に座って休憩し始めた。
お店の側からすればいい迷惑だろうと思うのだが、彼女を追い出したりはしない。それどころか、私は以前、驚く光景を目にしてしまった。
その日、私が麺屋を訪れたのは昼ごはん時だった。そこへやってきたフーンさんは、入り口にいちばん近い席に座った。するとお店の人が、皿の上にご飯とおかずを載せて彼女に出したのである。フーンさんは、当然のようにそれを食べ、お金も払わずにお店を出て行った。
思わず店の人に、「ご家族なんですか?」と尋ねた。
「いいえ。でもあのおばあさん、貧乏で苦労されているんですよ」
お店を切り盛りしている中年の女性は、去っていくフーンさんの背中を目で追いながら、そう答えた。
さて、話はくだんの夕暮れ時。夕食を終えた私のところにフーンさんがきた。
「今晩は1枚も売れなかったよ」
彼女は盛大にため息をつきながら、私の横にどっかりと腰を降ろす。
「夕食はとったの?」
「まだだよ。今日はこれを全部売らなきゃならないんだ。それまでは夕食もおあずけだね」
時刻は18時を回っているのに、手元には50枚ほどの宝くじの束が残っていた。
「今日は何枚、買ってくれるの?」
私が買うものだと決めつけている。彼女が売っている宝くじは1枚1万ドン(約50円)。今日も2枚だけ買うことにした。彼女はお金を受け取ると、再び夜の街へと姿を消した。
ホーチミンの街中では、宝くじの行商人の姿を頻繁に見かける。儲けは少ないが、資格も特別な能力も必要ない仕事だから、職につけない社会的弱者の受け皿だとも言われる。しかしそれが成り立っているのは、ここの麺屋のような、優しい人たちがいるからだろう。
(初出:読売新聞・国際版 2017年6月16日/改稿:2018年12月17日)
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