サイゴン路地裏物語
少女の人生を変えた50ドル

少女の人生を変えた50ドル
この話の始まりは約25年前にさかのぼる。アメリカ人ビジネスマンのバルコさんは、ホーチミンに出張中だった。数か月に1回は来越して、10日間ほどの滞在中は、毎日現地の取り引き先を訪れる。
その時、会社の門の近くで物売りをしている少女の姿が目についた。6歳くらいだろうか。道路脇に立ってチューインガムやライターを売っている。
ある日、バルコさんは、タクシーの隣に座っている通訳のベトナム人・ロアンさんに声をかけた。
「あの子、いつもここに立って商売をしているよね。学校には行かないのだろうか」
「家が貧しいので、親が働かせているのでしょうね」
「彼女が学校に行けるようにお金を渡してやりたいのだが、いくらぐらい渡せば、いいだろう。1000ドルもあれば、あの境遇から抜け出せるのではないかと思うのだが」
ロアンさんはホーチミン市内の大学に通う大学生。出張時にはいつも手伝いを依頼しており、今や、ベトナムにおけるバルコさんの右腕のような存在だ。
「一度にまとまったお金を渡しても、それは一時しのぎにしかなりません。1000ドルは大金ですけど、あなたが次にベトナムに出張に来たときには、そのお金は使い果たしていて、彼女はまたあそこで物売りをしていると思いますよ」
ロアンさんは、こう提案してきた。
「それより少しずつでいいので、私に毎月送金してもらえませんか。お金は私が彼女の家に届けましょう。そのときには、学校に行っているかどうかも確認して、あなたにレポートを送ります」
里親・里子のような関係である。
彼女は続けた。
「毎月、あなたからのお金を受け取るようになれば、彼女は『自分のことを気にかけてくれている人がいる』という精神的な支えが得られます。彼女のような境遇の子供が勉学を続けるのに必要なのは、お金だけではなく気持ちなのですよ」
バルコさんは、アメリカに帰ってから、毎月50ドルをロアンさんの口座に送金した。それに対し、ロアンさんからは、毎月、マイの近況を報告する手紙が届いた。まだインターネットが使えない時代である。ロアンさんの几帳面な直筆の手紙に加えて、マイの近況を写した写真も、同封されていた。
一方のバルコさんも、毎月手紙を書き、自分の家族たちの写真、アメリカでの日常生活の写真などを同封して送った。バルコさんはホーチミンに出張に来ると、1日は休暇をとって、マイと買い物や遊園地に行ったりして、一緒の時間を過ごすようになった。ロアンさんが同行したことは言うまでもない。
その後、マイの話を聞いたバルコさんの友人たちから「私も里親になりたい」という申し出が相次いだ。最終的に10組以上の「里親・里子」が成立。「里子に会いたい」と休暇を利用してホーチミンシティを訪れる人も少なくない。
ロアンさんは就職をしてからも、数少ない休日を使って里子達との仲介役を続けた。すべて無償である。マイが結婚したときには、バルコさんはアメリカからやって来て、家族の一員として結婚式と披露宴に出席した。
支援していた子どもたちが、すべて幸せになったわけではない。ある女の子は高校に進学したものの、勉強に身が入らず中退。結局、売春婦になってしまった。しかしほとんど子どもたちは、学校を卒業して就職し、結婚をして幸せな家庭を築いている。
バルコさんとロアンさんの小さな一歩から始まった支援は今も継続中だ。民間企業の最低賃金が約1万5000円〜というこの国では、人を救うのにも大金は要らない。わずかのお金、そして何より大切なのはちょっとした気持ちだ。それがあれば、1人の人生に「奇跡」を起こすことができる。
【写真キャプション】
ホーチミン近郊でも、幹線道路から少し外れたところには、こんな風に経済発展から取り残された貧しい人たちの生活がある。
(初出:時事速報ベトナム版2021年08月25日/改稿:2022年01月03日)
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