サイゴン路地裏物語

ベトナム・ホーチミン市の路地裏に住む日本人が見た素顔のベトナム人。


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サイゴン路地裏物語



貧乏で鷹揚なベトナム人・金持ちで細かい日本人

あるビルの地下駐輪場からバイクを出そうとしたときのことだ。料金所には既に2台のバイクがいた。

「ゴメン、ゴメン。これしかないんだ」
先頭のバイクに乗ったスーツ姿の男性が差し出しているのは、最高額紙幣の50万ドン札(約2400円)である。駐輪場代は5000ドン(約24円)だ。

「お釣りがないんだよねえ。お客さん、もう少し小さいお金はないの?」
中年の料金係は、困惑顔でお釣りの入った引き出しを探っている。お釣りを用意していない側にも問題はあるが、料金係が困るのも分かる。

そのとき、2台目のバイクに乗ったジーンズ姿の青年が、
「僕が2台分払いますよ」
と1万ドン札を差し出した。

ベトナムの人は貧乏であっても、少額のお金に関しては驚くほど鷹揚な一面を見せる。「駐輪代のまとめ払い」はその典型だろう。

私がベトナム人の友人たちと外出すると、駐輪場からバイクを出すときに、先頭の人が後続のバイクの分まで駐輪代を払ってくれることが多い。「1台1台払うと時間がかかって面倒くさい」「駐輪代なんて、大した額じゃないんだから」と言うのだ。

私がジーンズの青年に「前の彼は友だちなの?」と声をかけると「いいえ」という答だったので少し驚いた。見知らぬ人の分まで払うのはさすがに珍しい。

一方、日本人は小さなお金にも細かい。レストランで働くベトナム人の友人から、こんな話を聞いたことがある。
「200万ドン(約9600円)の食事をした日本人のお客さんが、『お釣りが500ドン(約2円)足りない』って苦情を言うの」

私は、「それはね、金額の多寡が問題じゃないんだ。日本には『一円を笑うものは、一円に泣く』という言葉があってね」云々と説明したのだが、
「でも、500ドンのお釣りのために、無駄にした時間を考えると、損だと思うんだけど」
と、日本の流儀はなかなか理解してもらえなかった。

私も日本人だから、例え500ドンでもお釣りが合わないと居心地が悪い人の気持はよく分かる。一方でベトナム生活が長くなるにつれ、1000ドン、2000ドン程度は「端数」と考えるようになってきた。

2万9000ドンのタクシー運賃を払うとき、3万ドンを出したらお釣りは期待しない。律儀に1000ドンを出してくれる運転手さんもいるが、「取っておいて」と受け取らないことが多い。

日越、どちらの流儀にも一理ある。几帳面な日本人は、ベトナム人の「いい加減」なところを、逆にベトナムの人は日本人の几帳面なところを、それぞれ学ぶといいのにな、と思う。

(初出:読売新聞・国際版 2017年4月28日/改稿:2018年11月26日)

サイゴン路地裏物語



1つの路地は大きな「家」のようなもの

「いってらっしゃい!」
バイクで通りかかった私を見て、笑顔で手を振ってくれたのは、近所で路上カフェを営むフーンおばさんだ。自宅のある路地裏から表通りに出るまでの間、こうして近所の住人に見送られて、毎朝出勤する。

私の妻はベトナム人。ホーチミン市(旧名:サイゴン)の下町にある彼女の実家に、2002年から居候している。中心部まではバイクで15分ほどの距離だ。

ここの住人にとって、路地は家の延長だと言っていい。自宅の前の道に低い机と椅子を出して、夕食をとる家族がいる。暇なオヤジたちが、ビール片手にベトナム将棋に興じるのも路上だ。若い女性も、路地の中ではスッピンに部屋着のままで出歩いている。バイクに乗る人も、路地の中の移動だけであれば、ヘルメットはかぶらない。

路地裏の住人たちの人間関係も、まるで1つの大きな家族のようだ。

私が妻の家に住み始めた当初、家の鍵を持っていなかった。
「あなたが帰宅した時、誰もいなかったら、向かいで薬局を営んでいるホア姉さんのところに行って。彼女に鍵を預けておくから」。
そう妻に説明された。

来客が多くて机や椅子が足りなくなると、近所の人が貸してくれる。頂きものがあれば、おすそ分けをする。日常生活の中でのこういう助け合いが、ごく自然に成立しているのだ。

娘が小さいときには、これに大いに助けられた。我々夫婦が揃って外出しなければならないときは、近所に住む世話好きのお姉さんが預かってくれた。逆に、私が帰宅したら、乳幼児が4〜5人いて、まるで託児所のような状態になっていたこともある。

そんな調子だからプライバシーはないに等しい。常夏のホーチミンでは年中、窓は開けっ放し。お互いに家の中のできごとは筒抜けだ。

夫婦喧嘩をした翌朝、家を出ると、近所のおばさんから、「あなた、奥さんにはちゃんと謝ったの?」と尋ねられてしまう。

ベトナムには「王様の掟も村の垣根を越えない」ということわざがある。それくらい自治意識が強い。今は、垣根こそなくなったが、路地の中は一つの独立した共同体ができている。

日本から来た私にとって、最初、こういう路地裏生活は、軽い戸惑いがあった。しかし慣れてしまうと、実に居心地がいい。

ベトナムの社会的インフラは貧弱だ。しかし人というインフラがそれを補っている場面が多々ある。路地裏の生活は、まさにその象徴だと私は感じている。

(初出:読売新聞・国際版 2017年4月14日/改稿:2018年11月19日)
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