サイゴン路地裏物語
5年ぶりの一時帰国を決めたのは

5年ぶりの一時帰国を決めたのは
「こんなことしている場合じゃないでしょ!」
マッサージ師の女の子がいきなり怒り出した。ここは下町にある小さなフットマッサージ屋さん。平日の昼下がり、店内にいる客は私一人である。マッサージを受けながら、担当してくれたトゥイさんという女性と世間話をしていた。
「出身はどちら?」
「ベンチェーです」
「ホーチミンに出て来て何年になるの?」
「5年くらいよ」
「結婚しているの?」
「4年前に結婚したんだけど、もう離婚したの」
「子供は?」
「3歳になる男の子がいるわ」
など私からの質問が一段落すると、今度はトゥイさんから日本について、いろいろ尋ねられた。
「日本にはどれくらいの頻度で帰るんですか?」
「実は、もう5年以上、帰っていないんだよ」
私がそう答えるとトゥイさんの手が止まった。そして怒り出したのである。
「あなた、ご両親が日本にいるのに、5年も帰っていないって、それ、どういうことなの!」
「いや、忙しくて……」
「親の顔を見に帰る時間はないのに、マッサージに来る時間はあるんですか」
「時間だけじゃなくて、航空券も高いんだよ」
「高いって、いくら?」
私が1000万ドン以上することを告げると、「え? そんなに高いの」と彼女は一瞬ひるんだ。そしてこう言葉を続けた。
「私は月に1回、お店が休みの日にはベンチェーに帰るの。私の顔を見ると両親は涙を流して喜ぶのよ。親というのは、子供が近くにいてくれるだけで嬉しいものなの。あなたのご両親だって、すごく寂しい気持ちでいらっしゃると思うわ」
1時間のマッサージが終わり私はチップを差し出した。ところが彼女はそれを押し戻し、
「チップは要りません。これを航空券代の足しにしてください」
と言うではないか。
こういう店では、マッサージ師はチップのみが収入ということが多い。これでは彼女はタダ働きになってしまう。
彼女に背中を押されるようにして出口に向かった。基本料金の20万ドンを受付で支払う。それを受け取った店長らしき中年女性が、トゥイさんを指さしながら「女の子へのチップは?」と聞く。
私がトゥイさんの顔を見ながら一瞬ためらっていると、彼女は「私はもう受け取りました」と答えてしまった。そして私に笑顔を返しながら「いいの、いいの」という風にうなずいている。
店を出た私は、すぐにカフェに入ってパソコンを開いた。日本行きの航空券を予約するためである。
(初出:読売新聞・国際版 2018年8月10日/改稿:2018年12月21日)
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