サイゴン路地裏物語
新型コロナは誠意のリトマス試験紙

新型コロナは誠意のリトマス試験紙
今回の新型コロナウイルス騒動は、ベトナムに住む外国人にとって「これまでベトナムと誠実に付き合ってきたか」が問われる試金石のような気がする。
騒動が始まって以来、「定宿にしていたホテルで宿泊を拒否された」「レストランで入店を断られた」という体験談を見聞きする。ある日本人駐在員は「ベトナムに暮らしていて、日本人であることに肩身の狭い思いをする日が来るとは、想像もしなかった」と落胆を隠さない。ベトナムでは今まで日本人だと名乗るだけで、一段上の丁寧な対応をしてもらえることが多かっただけに落差が大きいのだろう。
その気持ちは私にも分かるが、「ベトナム人の日本人差別」に憤っている人を見ると、素直に共感できないことが多い。そうした中には、ベトナムの人に普段から横柄な態度を取っていたり、そこまでいかなくてもベトナムとの付き合いが浅かったりする人がかなりの割合で見受けられたからだ。
私はここ数週間、ベトナムで日本人の知人に会うたびに「日本人や外国人という理由で、不当に扱われたことはありますか」と尋ねている。少なくとも私が聞いた周囲では「不愉快な対応をされたことは一度もない」という人が多数だった。
これらの知人に共通するのは、ベトナムに感謝の気持ちを抱いて生活していることだ。「非常時でも親切でいてくれるベトナムの人たちの優しさが身に染みた」と、正反対の体験を話してくれる人も少なくない。入店拒否の経験を持つ人でも「スタッフの対応はとても丁寧で、決して悪い印象は持たなかった」と振り返る。
同じ日本人なのに、どうしてこうもベトナム人の対応が違うのか。これを説明するキーワードは「家族」ではないか。本当の血縁関係ではなく、極めて「心情的な概念」としての家族だ。「家族かどうか」は、ベトナムでは日本よりはるかに大きな意味を持つ。普段目立たない「家族の内か外か」の違いが、新型コロナウイルス騒動という非常事に見えやすい形で現れたのではないだろうか。
ベトナム人から「家族の一員」と見てもらうのに、長くベトナムに住んでいることやベトナム人の配偶者がいること、ベトナム語が話せることは必須ではない。私が知っているだけでも、数年の駐在生活でベトナム語もほとんど話せないのに、ベトナム人から家族扱いされている人が何人もいる。大切なのは「誠実さ」だと思う。
この機会に「自分がベトナムと誠実に付き合ってきたかどうか」を自問自答したいと考えている。それは今回の危機を乗り越える上で必要であると同時に、騒動後のベトナムでの働き方・生き方を見直すのにも大切なことだろうから。
【写真キャプション】
2020年3月22日朝のホーチミン市・タンソンニャット国際空港の到着ロビー。この日から、新型コロナウイルスへの感染拡大防止のため、国際線の運航が停止された。普段はごったがえしている空港がご覧のようにガラガラだ。
(初出:時事速報ベトナム版2020年4月6日/改稿:2020年12月14日)
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