サイゴン路地裏物語

ベトナム・ホーチミン市の路地裏に住む日本人が見た素顔のベトナム人。


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サイゴン路地裏物語



南北の溝を埋めるのは

「父はハノイ出身、母はホーチミン出身なんです」
先日、知り合いになったホーチミン貿易大学に通う女子大学生・フィンさんからの最初のセリフがこれだった。

「ちょっと珍しい組み合わせですね」
私がそう答えると、
「そうなんです。だから自己紹介のときに言っておくんですよ」
と説明してくれた。

首都・ハノイを中心とする北部と、国内最大の都市・ホーチミンを擁する南部は、別の国と考えたほうがいいほど大きな違いがある。そのことは、私も以前から知識として知ってはいた。しかしベトナムで働き始めて体験した両者の溝の深さは、私の推測を遥かに超えるものだった。

北部の人は、南部にそこまで対抗意識を持っていないようだが、南部人の北部人に対する嫌悪は根強い。南部に住んでいる北部人も多数いるが、そこにも見えない壁が存在する。これを理解する際に鍵となるのが「54年組」「75年組」という2つの言葉だ。

54年組とは1954年、ジュネーブ協定でベトナムが南北に分割された際、共産政権を嫌って南へ移住してきた人たちのことである。75年組は、1975年、ベトナム戦争が終結した後、移住してきた人たちだ。54年組は、北部人ではあるが「反共産主義」という点で南部人と共感できるところがある。しかし北部人であり、かつ共産主義者である75年組は、南部人にとって「親の敵」のような存在だ。

冒頭に紹介したフィンさんのお父さんは、そんな75年組の1人である。フィンさん自身は、生まれも育ちも南部で、言葉も南部発音だから、回りの人は南部人だと信じて疑わない。南部での日常会話の中で、75年組への悪口で盛り上がることは珍しくない。そこで彼女が「実は私の父は北部人なんです」と言うと空気が凍りついたようになることもある。それを防ぐために、最初に父親の出自を明かしておくのだという。

北部人の親を持って南部で暮らすのは、やりにくいことが多いのではないか。その点を私が尋ねると、彼女はニッコリ笑って、こんな答を返して来た。
「南部と北部の両方を知っていることは、むしろ利点だと思っています」

明日7月2日は南北統一記念日である。ベトナム戦争終結1年後の1976年のこの日に、南北ベトナムが1つになりベトナム社会主義共和国が誕生した。

それから43年。私には南北の壁は少しずつ低くなっているように感じられる。北部人と南部人の結婚も徐々に増えているようだ。フィンさんのように南北両方の血を引く子どもたちが、両者の深い溝を少しずつ埋めて行ってくれるのではないだろうか。私はそんな期待をしている。

(初出:読売新聞・国際版 2018年1月19日/改稿:2019年7月1日)
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