サイゴン路地裏物語
「あーんして」と食べさせる習慣
「あーんして」と食べさせる習慣
私がいつものようにカフェで仕事をしていると、正面のテーブルにお母さんと息子さん2人の3人組が入ってきた。お兄さんは小学校高学年くらいで、弟さんは低学年くらいだろうか。2人は椅子に座るやいなや、それぞれタブレットを取り出してゲームを始めた。
ケーキが運ばれてくると、お母さんが一口大に取り分けて、兄弟の口に運んでいる。口の中が空になると、2人は口を「あーん」と開き、お母さんに続きせがむ。その間もタブレットから目を離そうとしない。
それを見ながら私は、知人のHさんから聞いた話を思い出していた。Hさんが、近所に住む親戚から「夫婦揃って1泊2日で外出することになったので、私達が不在の間、高校生の息子・Tの面倒をみてくれないか」と頼まれたときのことだ。
何事もなく2日間が終わり、引き取りに来たご両親に息子さんをお返しした。ところが、ものの15分もたたないうちにお母さんから電話が入った。
「今、帰宅して息子に聞いたんですが、2日間、一度も食事をさせてくれなかったそうですね!」
Hさんは驚いた。朝昼晩とちゃんと食事を作っていたからである。それを説明すると、
「ウチの息子は、自宅ではいつも、私がスプーンを使って食事を食べさせているんです。ところがお宅では、『自分でハシを使って食べなければならなかった』と息子が言っているんですが」
この話には続きがある。T君はベトナムの高校を卒業した後、母親の指示によりアメリカの大学に進学した。一家の親戚には、ベトナム戦争終結後、アメリカに移住した人が多い。そのうちの一軒に住まわせてもらうことになった、しかし母親としては「アメリカで悪い虫がつかないか」と心配でならない。
そこで自分の知り合いの娘さんを探してきて、婚約させることにしたのだ。結婚は、アメリカで無事に大学を卒業して就職した後だという。T君と未来の花嫁の婚約式には私も招待された。
花嫁はT君と同い歳の19歳。理知的な顔つきの美少女である。両家の親族が合計で60人くらい集まっていただろうか。ところが肝心のT君の姿が見えない。アメリカからベトナムまで戻ってくるのは大変なので欠席だそうだ。
T君が一度も相手の女性に会ったことがないと聞いて、更に驚いた。母親がメールで送ってきた写真を見て「母さんが選んでくれた人なら間違いないから」と承諾したそうだ。その後、2人はメールやスカイプなどでやり取りをして婚約を決めた。
冒頭のように親が子に「あーんして」と食べさせるのは、ベトナムではしばしば目にするし、それを「愛情の印」と考えている人もいる。
私の娘が幼稚園に通うようになった頃、自分でスプーンやハシを使って食べられるように教えようとしたら、一部の人から「あなたは娘さんのことを愛していないのか」「娘さんがかわいそうだ」と、とがめられた経験がある。「愛しているからこそ、子供にスプーンやハシの使い方を教えるのだ」と説明したが、なかなか理解してもらえなかった。
さて、冒頭のカフェの話に戻ろう。ほどなくお父さんが登場した。見たところ40歳前後のなかなか好男子である。奥さんが子供達にケーキを食べさせている情景を見ると、注意するに違いないと私は期待した。
椅子に座ると、彼はカバンの中からノートパソコンを取り出した。そして顔を奥さんの方に向けると、「あーん」と口を開いたのである。奥さんは、1人パソコンもタブレットも持たず、小鳥にエサを運ぶ親鳥よろしく、3人の男性達の口元にケーキを運び続けた。
(本稿初出:2019年8月26日)
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