サイゴン路地裏物語
範囲が広いベトナムの「親戚」づきあい

範囲が広いベトナムの「親戚」づきあい
「兄夫妻が2週間少々、一時帰国することになったの。姉さんの親戚3人が同行するので、今回は5人が我が家に泊まるからね」
と妻が切り出した。義兄夫妻はアメリカに住んでおり、時々、ベトナムに遊びに来る。泊まるのはいつも私達の家だ。
我が家は4部屋あり、義母、義弟、私達3人がそれぞれ1室を寝室として使い、残りの1部屋は私と妻の仕事部屋だ。空いている部屋はない。義兄夫婦だけなら義母と同じ部屋で寝てもらうのだが、親戚2人が加わるとなると、そうはいかない。部屋の模様替えが必要になる。
今回、同行する2人の親戚と私達家族は面識がない。それでも親戚は親戚。「ホテルに泊まってくれ」というのは、ベトナムの流儀に反する。私達も、2人に宿泊を提供するのは当然だと思っているし、相手もそれを当たり前として受け取る。このように血縁関係を大切にするのは、ベトナムのいいところだと私は思う。
ただ、私が最初戸惑ったのはベトナムにおける「親戚」の範囲が、日本に比べて遙かに広いことだ。
ある日、妻が「親戚のおばあさんが亡くなったから、お通夜に行きましょう」と言い出した。場所を聞くとクチの近くだという。クチというのは、ベトナム戦争時にゲリラがこもっていた「クチのトンネル」で知られる街だ。ホーチミンシティの中心部から北西方向に70キロくらい離れており、親戚の家まではバイクで片道1時間半はかかる。
「親戚って、誰のどんな親戚?」
と妻に確認したところ、
「私の従姉のご主人さんのお母さん」
という答が返って来た。
私は「え?」と思ったが、これくらいは十分に「親戚」の範囲内で、往復3時間かけてお通夜に参加するのが「当然」だというのが、妻の認識だ。「郷にいれば郷に従え」である。
私は翌日、仕事が終わった後、妻をバイクの後ろに乗せて、片道1時間半かけてお通夜に行った。ベトナムのお通夜は3日3晩行われ、その間、いつでもいいから、お焼香に訪れるというフレキシブルなシステムである。親戚のお宅に到着した私達は、弔辞を述べてお焼香をした。現地での滞在時間は15分くらい。そしてまた1時間半かけて帰宅した。
ベトナムの披露宴の出席者が多いのは、「親戚」の範囲が広いことが理由の1つだろう。普通の人の披露宴でも出席者300人程度は当たり前だ。当然、招待される回数も増える。「父方の従兄の娘さん」「母方のおばさんの息子さん」など、かなり縁の遠い人からも招待状を頂く。縁起のいい日だと披露宴が重なることもある。そういう場合、妻は義母と相談して、「私はこちらに行くから、お母さんはこちらに出て」と手分けして対応する。
親戚の範囲が広いと付き合いは確かに大変だが、助けられることはそれ以上に多い。妻が会社を作る際には、3人の出資者が必要だったので、近所に住んでいる従妹に名義を借りた。会社ができたら税理士が必要になる。これも親戚の男の子で資格を持っている人がいたので、彼に頼んだ。私達が家を改築するときは、工事中に、一家4人揃って近所の親戚の家に居候させてもらった。1か月間くらいだったろうか。もちろん無料である。
日本でも、もちろん親戚同士の助け合いは多い。しかし「親しき仲にも礼儀あり」の精神だろうか、「超えてはいけない一線」というのがあるような気がする。それは日本の良いところでもあるのだが、「親しき仲には礼儀なし」というベトナムの親戚づきあいから学べるところも、多々あるのではないだろうか。
*写真はサイゴン川沿いにある火炎樹。5月から7月頃に赤い花を咲かせる。
(本稿初出:2019年8月5日)
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