サイゴン路地裏物語
ベトナムは日本に負けない「おもてなし」の国

ベトナムは日本に負けない「おもてなし」の国
1995年、世界一周旅行の途上で、私が初めてホーチミンを訪れたとき、人々の生活は、今とは比べものにならないほど貧しかった。
4日間の滞在中に接したほとんどすべてにおいて、日本はベトナムのはるかに上をいっていた。そんな中で「これは日本に負けていないな」と感じたのが「ベトナム流・おもてなしの精神」である。
一例をあげよう。「ベトナム人の生活が見たい」と思っていた私は、滞在中に知り合った大学生のN君に「君の家に連れて行って欲しい」と頼んだ。彼は快諾。私をバイクに乗せて、自宅に案内してくれた。
到着すると、突然、現れた外国人を、彼の一家は、親戚の子が帰ってきたように、自然に迎えてくれた。
「外は暑かったでしょう。シャワーを浴びなさい」
と言われたが、最初は「初めての家で風呂を使うなんて」と躊躇した。しかし「帰宅するとシャワーを浴びてスッキリするのがベトナム流なんですよ」とのこと。「郷に入っては郷に従え」で、私もシャワーを浴びることにした。案内された浴室は半屋外。お湯は出ず水シャワーだった。
浴室から戻ると、
「これから夕食だから準備を手伝ってくれるかしら」
と言われ、一緒に茶碗やお箸を並べた。決して豊かなご家庭ではなかったのだろう。食卓はなく、床に大皿料理を並べていく。それを取り囲むように車座になって、7〜8人の家族が座った。
何を食べたのかは覚えていないが、その美味しさは今でも鮮明に記憶に残っている。N君の家族は、気を使ってはくれるのだが、さりとて特別扱いするわけではない。N君以外とは、言葉が通じないにも関わらず、私は、自分の家にいるかのように寛いだ気分で、過ごすことができた。
このときの滞在中、私は、N君宅を含む3つのベトナム人家庭を訪問している。まったく見知らぬ人たちばかりだ。しかしどの家でも、私を家族の一員のように迎え入れてくれた。
どんな「おもてなし」を心地よく感じるかは人によって異なる。特別扱いされることを好む人もいるだろう。しかし私には、3つの家庭での「自然体のおもてなし」が心地よかった。
日本に帰国後、約4か月の世界一周旅行を振り返って、いちばん印象的だったのは、ピラミッドでもパルテノン神殿でもなく、ベトナム人の家庭で過ごした至福の時間だった。
私がベトナムの土を初めて踏んだのは1995年7月7日のこと。昨日でちょうど24年目になる。その後、ベトナムは驚くほど豊かになった。しかし人肌の温もりがある「おもてなしの流儀」は今も変わらない。
(初出:読売新聞・国際版 2018年7月13日/改稿:2019年7月8日)
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