サイゴン路地裏物語
1杯のフォーにかける熱意

1杯のフォーにかける熱意
ホーチミンでベトナム人とフォー(ベトナム風うどん)を食べに行くと、注文にとても時間がかかることがある。例えば友人のドゥックさんの場合はこうだ。
フォーは上に載せる肉を何にするかで10種類ほどに細分化される。代表的なものは、生の牛肉を載せる「ボータイ」と、チャーシュー状の牛肉のスライスを載せる「ボーチン」。ドゥックさんはこの両方を入れる。メニューにはないが「ボータイとボーチンで」と頼むと店は対応してくれる。肉の量が倍になるのではなく半々なので料金は同じだ。
付け合せのモヤシは、生ではなく必ず湯通ししてもらう。さらに生卵をつける。これも単なる卵ではなくて、牛の血を使ったスープの中に黄身が浮いているものがお気に入りだ。これは別の小鉢に入って出て来る。
そしてスープ。彼は必ず「脂抜きで」と頼む。健康上の理由だそうだ。運ばれてきたフォーのスープの表面に脂が浮いていると大変だ。「脂抜きでと頼んだじゃないか。出し直してくれ」と強い語気で店員に注文をつける。
普段は温厚そのもののドゥックさんだが、注文通りのフォーが出てこないと「店長を呼んで来てくれ」と怒鳴り出すことすらあるほどだ。付き合っていられない私は、「お先に」と断って、さっさと食べ始めてしまう。
私が感心するのは、お店の側が、これらの注文に対し、嫌な顔ひとつせずに対応することだ。おそらく慣れているのだろう。実際、こんな風に、お店側に細かい注文をするベトナム人は、ドゥックさんだけはない。私の周囲のベトナム人では、注文をつけないほうがむしろ少数派だ。ドゥックさん宅の近くにある行きつけの店だと、何も言わなくても、彼仕様のフォーが出てくるという。
南部のフォーは、運ばれて来たあとも長い。チャインと呼ばれるライムのような果物を絞り、自分の好みの香草を選んで入れる。さらに赤いチリダレ、茶色いミソダレのどちらか、もしくは両方を、好みに合わせて入れる。そうして自分流の味に仕上げてから、ようやくハシをつけるのだ。
こういうこだわりを見ていると「ベトナム人は食べることに命をかけているな」とさえ感じる。
お店の人に細かく注文をつけ、自分の好み通りのフォーが出てくると、ドゥックさんは本当に嬉しそうな顔になる。もう50に手が届く歳なのに、まるで子どものようだ。その無邪気な笑顔を見るたびに「食べ物へのこだわりは、ベトナム人の幸せの源の1つかもしれない」と感じる。
(初出:読売新聞・国際版 2017年11月17日/改稿:2019年3月4日)
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